フランツ・カフカ著、山下肇・山下万里訳『変身・断食芸人』(岩波書店・2004年)

変身・断食芸人 (岩波文庫)

私が読んだ本には『断食芸人』という『変身』とはまた違う面白さのある物語も収録されているが、この記事では『変身』についてだけ紹介する。

 

まず、ざっくりとあらすじをお伝えする。

父母に代わって一家を養うために日々働いていた青年、グレゴール・ザムザは、ある朝目覚めると巨大な虫に変身していた。起きてこないグレゴールを心配した家族や勤務先の支配人が部屋を訪れ、一悶着あってグレゴールは自身の変身した姿を晒すのだが、その姿を見て母親は倒れ、支配人は声をあげて逃げ出す。妹だけが面倒を見てくれるが、グレゴールは次第に見た目だけでなく、あらゆる面で虫っぽくなっていく。

そして起承転結でいう「転」「結」は、グレゴールに肩入れすればなんとも切なく、第三者目線で読めば、人間の本性をあぶり出すような(少なくとも私はそう思った)絶妙にゾワゾワする終わり方である。

詳細なあらすじはこちら(↓)。

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フランツ・カフカの『変身』。誰もがどこかで一度は聞いたことがあるような作品だと思うが、私はこれまで一度も読んだことがなかった。

だいぶ昔(調べてみたら2010年あたり)、俳優の森山未來さんが“朝目覚めると虫に変身していたグレゴール・ザムザ”を演じた舞台があって、その舞台写真は見たことがあった。その舞台写真にとても心がワクワクしたし、面白そうとは思いつつも、あの頃は原作に手が伸びなかったのだ。

ある特定の本が読みたくなる瞬間、というのは本当に突然で、ある日図書館に足を運んだ時に唐突に思い出したのがこの本だった。「読むなら、今!」って感じで惹きつけられた。

なお、ユーモラスな表現もあって、文体もそんなに重くないので、割と気軽に読める。私は病院のやたら長い待ち時間の間に読み終えた。大体2〜3時間といったところか。読む速度は人によるけど、多分そのぐらいで読み切れるはず。そのぐらいの軽さと思っていただければ。

 

心に響いたのは、虫に変身しながらも人間として苦悩するグレゴールの心情が妙に生々しかったところ。1915年に発表、出版された作品ではあるが、訳を担当した山下肇・山下万里親子が時代に合わせて翻訳を微調整したこともあってか(あとがきにそのような旨が記載されていた)謙遜具合や皮肉具合が現代を生きるサラリーマンのようで、とても共感できた。

妹の心境もなんとなく理解できる。あらすじ紹介にも記したように、妹だけがグレゴールの身の回りの世話をしてくれる。とはいえ、妹はグレゴールの変身した姿にへっちゃらというわけではない。できる限り、姿や気配をとらえないようにしながら、兄を思い、世話をする。その、本能的な嫌悪と理性的な愛の狭間ギリギリな感じが、結構読んでいて心にくる。

 

カフカの『変身』は不条理文学、実存主義文学の傑作といわれているようだが、そもそも不条理や実存主義という言葉は聞き慣れないから、そういうのは抜きにして読んだ。

そういうのは抜きにして読んだけど、物語のオチは確かに不条理だと感じられた。

不条理
1 筋道が通らないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。
実存主義の用語。人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。カミュの不条理の哲学によって知られる。

出典:デジタル大辞泉小学館

詳細なあらすじに軽くオチが明かされちゃってるが、ともかくグレゴールが“いなくなってからの”父親、母親、妹の会話や行動に、私はゾワゾワした。多分、人は、こんな風にして、都合の悪いことや消し去りたいような出来事をなかったことにするんだろうな、と思ったから。

グレゴールに起こる結末や、物語終盤の家族の反応はぜひ読んで確かめてほしい。これ、下手したら、イヤミス(読んだ後に「嫌な気分」になるミステリー小説)よりも、後からジワジワ嫌な気分になるかもしれない。物語の終わり方のさっぱり具合がかえってとんでもない余韻をもたらしてるよな、って思って。

あと、冒頭でちょっぴり触れましたが、一緒に収録されている『断食芸人』もまた、ユーモラスな文体で読みやすいけど、油断してると心にぽっかり穴があくというか、「うわ」って声出ちゃうかもしれない。面白いですよ。

ぜひに。