ある人から見れば、やっぱり過激に捉えられてしまうのかもしれないが、私は今、読んでおいて良かったと思えた。薄らぼんやりと「これって結構変じゃない?」と思っていた現代社会の現状をビシバシ突きつけてくる本である。
そして今ある世界を根本的から覆そうとするたくましさに満ちた本だ。
本文中で出てくる「外部化社会」、環境負荷を自国以外に押し付ける様(特に被害を被っているのはグローバル・サウス)は耳の痛い話だった。でも絶対目を背けちゃいけない話題だ。経済発展のために、環境問題の原因を他者に丸投げしているようなものなのだから。
資本を持つ者だけが得をするように出来ている「資本主義」そのものを見直し、根本的に変えていかない限り、本作の主軸にある「環境問題」は悪化していくだけだ。あえて端的に言えば、資本主義をやめない限り、人類の、地球環境の未来はない。
この訴えは、「今」を覆すものだから、この世では無理な話と諦めたくなる人もいると思う。私は読みながら「でも、どうやって」と嘆いた。私の身近な人は「また難しいことを言う」と笑った。
でも、本作の「おわりに」に希望があった。
「おわりに」以前の章にも記された希望だが、一見無意味で、冷ややかな目で見られがちな社会活動やコミュニティによる活動が、確かに世界を動かしていることが記されている。
民主主義のあり方が抜本的に変容したという事実からけっして切り離せない。さらに、この変化をもたらしたのが、社会運動だったという点も強調しておこう。
「黄色いベスト運動」や「絶滅への叛逆」は、しばしば具体的な要求を掲げていないと批判されてきた。だが、彼らの求めていたより民主的な政治への市民参加は、市民議会という形で実現され、ついにには具体的な政策案になったのである。
正直な話、過激すぎる方法で人々に訴えかける活動家(たとえば絵画にスープをかけたり、道路を封鎖したりする環境活動)に対して、「その方法ってどうなんだろう……」と苦い顔を向けたことがある。今でもあまり好きではない。
けれど、その人たちが他者に迷惑をかけすぎていると思うのは、私が「資本主義」の価値観にどっぷり浸かっていることの表れかもしれない。そう思うと、心中は複雑だったが、ハッとさせられ、不快ではなかった。
著者は文中で「資本主義が引き起こしている問題を、資本主義という根本原因を温存したままで、解決することなどできない」(p.360)とはっきり主張する。
そして最後に書かれた言葉が胸を打った。
ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、「三・五%」の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わると言うのである。
著者は「未来は、本書を読んだあなたが、三・五%のひとりとして加わる決断をするかどうかにかかっている」(p.365)と締めくくる。
要は、私はまんまとのせられて、三・五%のひとりになりたいと思ってしまっているのだが、のせられたことが決して悪いことではないと信じたい。
生活基準を産業革命以前にするなどの極端な行動には出ないし、出れないが、歩みは少しずつでいいから、薄らぼんやり抱いていた違和感や疑問を徹底的に突き詰め、自分の力で変えられることがあるのなら、それを実践していきたい。