先日、ユニクロへ行った。
無地のTシャツが欲しくなったからだ。
ユニクロにはさまざまな形のTシャツが販売されている。気になっていた形のTシャツと、ついでに気になっていたTシャツワンピースを試着することにした。後述するが、よく着ているブランドの服のサイズはSでちょうどいいこともあり、ユニクロでの試着もSサイズを選んだ。
試着室の鏡に映ったのは、握りこぶし1個分ぐらい肩が合っておらず、そのせいで首元が浮いており、「あれ?ずいぶん体がパンパンじゃない?」と語りかけたくなるような姿の私である。
私は諦めが悪いので、ユニクロ(時々、無印良品)で度々このくだりをやっている。
前置きが長くなったが、私は自分でも笑ってしまうほどユニクロ(時々、無印良品。以下、全部ユニクロと書くが、無印良品の服も似合わねえんだなと思っていただけたら嬉しい)の服が似合わない。
「いや、天下のユニクロぞ。まるで万人が着こなせるようなブランドイメージを打ち出しているあのユニクロぞ」と何度自分に問うたことか。しかし何回着ても結果は同じ。特に、それこそまさに、万人が着こなせるようなプレーンな装いのデザインほど似合わない。
多分、思春期真っ只中で自己肯定感が最も低かった時期の私が着用していたら泣いていたと思う。ユニクロで販売されているSサイズの異様なまでの華奢さよ。私の立派ないかり肩に合わせて服を選んだ途端、洋服全体が大きめなシルエットに変貌する現象よ。なんなんだ、マジで。
とはいえ、ユニクロがここまで引くほど似合わない分、発見もあった。
海外発のブランドではあまりこの現象が起きないのだ。「海外発」いうても、カジュアルもカジュアルなブランドばかりだが(すなわち、全くもってハイブランドではない)、GAPやH&Mのスウェットは「これはもう私の体だ!」ぐらいしっくりくる。
擬態用のファッション(カジュアルな格好がお門違いなときに着る服を「擬態」と呼んでいる)ではZARAが割と着れた。私にとって比較的しっくりくるブランドにDesigualがあるが、ここのSサイズもまた「私の体だ」と思わせてくれる。一張羅として着る機会が多い。
体型とかファッションにコンプレックスを抱いていたときは、周りの華奢な女の子たちとの体格差に全力で落ち込んでいた。着てみたいという憧れをことごとく打ち砕く私のいかり肩、下っ腹、立派なひざ頭。私は別に、私の体のことは好きだった。けれど他者との違いを肯定できなかったんだよね、あの頃は。
今は逆に「こんなにも似合わない」が面白く感じられているし、なんならユニクロは下着を買う店として活用しよう!という方針になり、これでムダな買い物をせずに済むという話でもある。
今更ファッションが面白い。
擬態用に買ったファッション誌に載っているおしゃれは、思春期に読んでいた雑誌に載っていたおしゃれと結局あまり変わらない。素敵かも!と思えるものもあるが、いくらトレンドと謳っていてもこれは危ういだろう……と思うものもある。例えば私は、レギンスの上に真っ白なソックスを履くのはギリギリダサいんじゃないか?!と思っている。
けれど、そういう「これはおしゃれか、ダサいか」みたいなやりとりを繰り返して、その人なりのおしゃれの定義を追求していく様が面白いんだろうなと思う。
というわけで、今日も私は「私の体だな」と思える服を着て外をほっつき歩いている。スウェットにジーンズ、スニーカーっちゅう装いで。