体と心の観察。体と心が弱い自覚はできているので、そろそろ次の段階にいきたい。

卒業制作展が終わった後あたりから、なぜかまた夜眠れなくなってしまった。これまで深く眠れていたことに喜びを感じていたけれど、もしかすると、卒業制作展に対して気疲れをしていて、深い眠りではなく気絶だったのかもしれない。

眠れていない今は今で、その原因はおそらく個展に対する緊張や不安じゃないかと考えている。

表現を発表するということはそれなりに緊張する。この間は、舞台上で台詞が全部飛んでしまう夢を見た。この夢はもう何回も見ている。実際、本番では起きなかったけどリハーサルのとき1回やってるから、夢であれ、このときの恐怖と絶望はリアルにもほどがある。

ここ数日は、眠れていないどころではなく、電車に乗った時には呼吸が困難になり、家に帰ってきても吐き気がし、排泄をしてもしきった感じがせず、不快感とイライラで散々である。

何らかの病気を疑いつつも、小学1年生の頃に、苦手だったお医者の先生がため息混じりに放った言葉が頭に浮かぶ。

「気のせいですよ」

そして割と、マジで、気のせいなのだと思う。気のせいが積み重なってマジもんの病気になっちゃった前科があるから無視し続けることはできないけれど、7割、いや8割、いや9割は気のせいで合っている。あれもこれも「心因性」である。

が、そんなことより、いい加減「健康」ってものを味わいたい。

こうやって冷静に自己分析できるようになったことは、意味もわからず調子が悪かったときに比べたら自分自身をうまく捉えられているわけだし、対処もできるから良いと思うんだけど、いい加減、次の段階にいきたい。

心身ともに健康な人になりたい。

最近、落ち込むときの落ち込む具合があまりにもハードなので、本気で催眠術にかかって違う脳のつくりになりたいと願ったほどである。

心の持ちようなんだとは思う。自己暗示というか、私自身がどんどん落ち込む方へと持っていっている自覚はある。心の持ちようでどうとでもなることぐらい分かっている。けれど、心の持ちようが、心の持っていき方がうまくいかないのだから、頭をいじくった方が早いのでは、と思うのも当然だって。

 

4月に控えるさまざまなイベントが終わったら、1回ガッツリ休みましょう。そう自分自身に言い聞かせている毎日です。普通になりたいとは思わないけど(だって「普通」ってなに?)健康にはなりたい。なりたいっていうか、健康な体にすげ替えたい、本音は。

そんな、年度初めの話。