「あんまりやってこなかったことに挑戦しよう」と思うぐらいには元気。

f:id:tomu_saito:20191219202702j:plain

今までやってこなかった仕事に1日向き合い、疲労困憊な今日。

とはいえ、達成感はある。

正直な話、労働力に見合わない金額の仕事である。初めての仕事だから、赤ペンがバシバシ入るだろうし、なんなら最悪お蔵入りする可能性だって0ではない。

だけど、わたしはその仕事で達成感を得たし、学びがあったと感じた。

それから、今まであまり積極的にやろうと思えなかったこと、やってこなかったことに挑戦しよう!と思うぐらいには元気になってきたんだな、と思った。

 

 

やりたくないことはやらない主義だった

元々、わたしは「やりたくないことはやらない主義」だった。

今でも、ホラー映画やお化け屋敷、絶叫マシンやバンジージャンプの類は、やりたくないしやらないので、「やりたくないことはやらない主義」が0になったという話ではない。

とはいえ、昔のわたしに比べると、自分の好奇心を肯定できるようになった気がするし、前よりも「本当に嫌かどうか、やってみないとわからんな〜」と思えるぐらいには前向きになってきた。

これはわたしの心が回復したというよりも、元々心の奥底にあった負けん気の強さが、夫の強気な発言によって焚きつけられてしまったような気がしなくもないが・・・いずれにせよ、以前よりは「まあ、やってみっか」と腰をあげる率が高まったように思える。

もしかしたらこの考え方も、わたしの死生観に関係しているのかもしれない。

「いつ死ぬかわからんけど、いつかは必ず死ぬ」

そう思いながら生きていると、不思議と「まあ、一回ぐらいやってみてもいいか」と思えるものである

本音を漏らすと、ホラー映画やお化け屋敷、絶叫マシン、バンジージャンプの類も、できないことを若干バカにしてくるきらいがある夫以外とだったら、ちょっとやってみたいと思ってるぐらいだ。

単純に、小馬鹿にされるのが嫌いなだけかもしれん。というか「一緒にやろう、守って(励まして)あげるから」と優しく言われたいものである。

 

やってみて結局嫌なこともある

ただ、勇気を出してやってみたものの、結局嫌な思いをすることだってある。

「わたしはOLに向いてなさそうだが、本当に向いてないのだろうか」という疑問から、就職の際、昭和気質な会社に飛び込んでみた。その結果、わたしは体と心をぶっ壊した。

あのときの経験の全てを「やらなきゃよかった」とは思わないのだが、嫌な思いをするとわかっていたら避けていたかもしれないとは思う。口に入れてはみたけどおいしくないとか、挑戦してはみたけど向いてないどころか苦しくて嫌だったとか、そういうことは全然ある。

でも「やっぱり嫌でした!!!」ってのも、やってみないと断言できない

それから食わず嫌い、やらず嫌いなだけだったものに時々ぶち当たることがあるから、やらないのが得策とも限らない

なんとも厄介で難しいものである。

 

向き合おうとするぐらいには元気なのだと

そんなこんなで、「嫌かもしれないがやってみないとわからん」新しい仕事に挑戦した結果、ドチャクソに疲れ切ってしまったのだが、そうやって向き合ってみようと思えるぐらいには元気になったのだと自分を肯定することにした。

体と心をぶっ壊した直後は、頑張る元気すら出なかったのだから

仕事中「このやり方は向いてないかもしれん・・・」と何度か思ったが、同時に「こうすればもう少し改善できるかも」「次にこの仕事をするときはこのアイテムを持っていこう」「もっとうまく業務を進めるために必要なものはこれだ」と色々アイデアが浮かび、その時点で「もう少しこの仕事できそう」と前向きになれたものだ。

わたしはこの「元気」を大事にしなければならない

とりあえず、今日は一仕事終えたので残り時間はフリーダムだが、この元気を大切にして、次も新たな挑戦に立ち向かってみようと思う。

では。

 

◆本日のおすすめ◆

「農業」に関わる記事を書いているので読んでみたのだが、農業に携わる人でなくても「働くこと」への学びを得ることができる本である。めちゃ面白かった。