『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観てきた。
観に行くまで時間を要した。タランティーノ監督の映画って、映画愛に満ちているのはすごく伝わるんだけど、長尺だし、時々少しやりすぎてダレてしまう印象があって、観るのに若干抵抗を抱いていたことを白状する。
でも一度作品を観たら、すぐに観に行かなかったことを後悔した。
タランティーノ監督は、「映画」だからこそできることをやってのけたのだった。
※ネタバレあり。タランティーノ監督3大○○作品の○○に含まれる言葉を知りたくない人は、ぜひ劇場で実際に鑑賞後、公式パンフレットを通じて知っていただければと思う。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
あらすじ
まず、この映画の背景について。
事件の内容を徹底的に調べずとも楽しめる映画のつくりにはなっているが、この映画の背景には、かつてハリウッドを震撼させた悲劇の存在がある。1969年、活躍が期待されていた若手女優シャロン・テートは、カルト集団であるチャールズ・マンソン・ファミリーに殺害された。殺害時、彼女は妊娠8ヶ月だったという。
物語の主人公はレオナルド・ディカプリオ演じるリック・ダルトン。テレビの西部劇スターとして名を馳せていたリックだが、少しずつ時代の流れに取り残され、今は悪役やゲスト出演ぐらいの出番しかない。
もう1人の主人公はブラッド・ピット演じるリックの親友で専属スタントマンのクリフ・ブース。クリフもリックと同じく、時代の流れに取り残され、また過去に起こしたトラブルもあって、今はリックの世話係を務める日々。
そんな中、リックの住む豪邸の隣に、時代の寵児ともてはやされる映画監督ロマン・ポランスキーとその妻で注目を集めつつある若手女優シャロン・テートが引っ越してくる。
映画だからできることをやってのけた
クエンティン・タランティーノ監督の「映画」愛が詰まった映画だった。
まず、純粋に映像がクソかっこいい。
これはもう、言語化するのが難しいほどの興奮を覚えた。映画冒頭、かつてのテレビ番組のインタビュー映像をそのまま流しているかのような、コッテコテのモノクロムービーが流れた時点で、わたしは死んだ。映画を愛するタラちゃんへの愛おしさで死んだ。
その直後、運転席に座るクリフ、助手席に座るリックの背中が映し出され、まあまあ雑な運転に思えるがどちゃくそかっこいい、仕事場へ向かう2人の様子が映し出される。
車が揺れ、2人の頭もガンガンに揺れる。でも、2人の姿を背後から撮った映像は、当時の空気や時代の流れをバッチバチ感じさせるものであり、60年代のかっこよさが全面押しなのだ。
その後、時代の流れに合わせて撮り方が変わっていくのもいい。
この物語の背景にもなっているシャロン・テート事件が近づくと、今まで一切なかった「語り」が追加されるようになる。
もちろんわたしも60年代の映画やドラマをすべてチェックしているわけではないから、どの作品のオマージュを表しているのかまではわからなかった。
けれどもリックとクリフが時代に取り残され、それでも懸命に仕事に励む前半戦とはまったく違う雰囲気がプンプンするし、シャロン・テートの身に起こる事件について事前に知っている人からすれば緊張感が凄まじい。
なぜなら、あの惨たらしい事件が引き起こるまでをカウントダウンされているような気分になるからだ。
しかしタランティーノ監督は、ここで「映画」をやった。
ネタバレになるが、マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートは、カルト集団マンソン・ファミリーの犠牲者にならない。マンソン・ファミリーは史実とは違い、シャロン・テートのいる豪邸ではなく、リック・ダルトン邸に忍び込む。
そして元軍人でゴリゴリのスタントマン・クリフによって、コテンパンにやられる。
このシーン、実際に鑑賞すると「やりすぎ」で笑ってしまう人が多いと思うのだが、「コテンパン」では済まない。もう、惨殺の域である。残虐にシャロン・テートを殺したマンソン・ファミリーが、この物語では残虐に「殺される」のだ。
事件の後、マンソン・ファミリーの被害に遭わずに済んだリックは、隣で起きた出来事を心配するシャロンによって、シャロン邸に招かれる。時代の流れに取り残されたリックが、期待の高まる話題の女優と初対面し、ハグをし、部屋へと招かれるシーンには感慨深いものがあった。
そして、彼らを映していたカメラから彼らの姿が消えると、画面にタイトルが浮かび上がる。
「ONCE UPON A TIME IN… HOLLYWOOD」
「むかしむかし…ハリウッドで」この「ONCE UPON A TIME~」が最後に表れる洒落具合よ!
虚構だからこそ思いは伝えられる
わたしはこの結末に感動していた。
映画という、タランティーノ監督が執筆した「物語」という「虚構」だからこそ生み出せた結末だと思ったから。
わたしは、彼が映画を愛し、映画に関わるすべての人を愛し、だからこそ、シャロン・テート殺害に携わった人物を、自らの手で制裁したいと思ったのではないだろうかと考察した。
「虚構」によって改変されたのはシャロン・テート殺害だけではない。
リック・ダルトンとクリフ・ブースの存在もそうだ。彼らは実際にいた俳優とスタントマンではない。でも、彼らのような、かつて必要とされ、時代に取り残された人々はいたはずだ。
そんな彼らに対してタランティーノ監督は敬意を表し、「ONCE UPON A TIME」で始まる物語のようにハッピーエンドを用意したのではないだろうか。
問題の、シャロン・テートが死なずに済む虚構のシーンでは、虚構と虚構がぶつかり合う。だからこそ、わたしたち観客が望む結末が待っていたのではないだろうか。
笑ってしまうほど、残虐な殺され方をするマンソン・ファミリー。それまでマンソン・ファミリーの登場には不穏な空気が蔓延していたのに、不穏さが一気に遠のくがごとく、クリフによる報復は容赦がない。
リックによる火炎放射器のシーンも、かつて一世を風靡したシーンを投影するかのごとく火炎放射するリックの清々しさと、勢いよく燃やし尽くされる憎き殺人犯の図は、虚構だからこそできたこと。
でもきっと、タランティーノ監督はこれをすることで、起きてしまった過去を嘆くことができたのだと思う。
わたしは散々、このとんでもなラストシーンに笑ったが、映画が終わった瞬間に、残虐に殺された女優を思って泣いてしまった。
これは起こることのなかった出来事なのだ。
史実をねじ曲げて物語は作れても、過去は変えられない。それを思ったら涙が出てしまった。
タランティーノ監督3大○○映画を見直したい
タランティーノ監督がこの「虚構だからできること」を行ったのはこれが最初ではない。
パンフレットでも書かれていたし、自分でもインタビュアーに対して「ネタバレになっちゃうからここでは伏せ字にしてね!でも、そうだよ!」と答えていた。
- 『イングロリアス・バスターズ』
- 『ジャンゴ 繋がれざる者』
- 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。
これらはタランティーノ監督による、3大「歴史改変」映画である。
どれも実際には起こり得なかった出来事が描かれているが、そのどれもが爽快だし、どれもが問題提起をしてくる。
一見ただの「娯楽」映画にも見えるが(純粋に楽しめるし、娯楽が決して悪なわけではない)、これら作品は「あー面白かった」だけでは済まされない。
過去に何があったのか、思い知らされる。
今作に関しては、決して「ハリウッドの夢」を描いていないわけではなかったから、明るい見方ももちろんできる。別記事にまとめる予定だけど、レオナルド・ディカプリオ演じるリックと、ブラッド・ピット演じるクリフの友情や仕事観は本当に素敵だったしね!
でも、今作は、映画が好きでたまらない少年が成長し、「映画とはなんぞや」という問いに対する自分なりの答えを全力で出したような作品だった。
「10作品つくったら引退する予定だが、この9作目が引退作になるかも」みたいなことを言ったらしい。
彼が発言した通り、気合いに満ちた1作だったのは間違いない。
クエンティン・タランティーノって、生粋の映画監督なんだなあ。
では。
◆本日のおすすめ◆
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3ヶ国語を操るドイツ人将校がかっこよくてたまらん
レオ様は手が血まみれになっても演技をやめなかったと言う(収録されてます)