好きな人とは対等にいたいぜ。

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 みなさんご存知だとは思うが、わたしはよしさん(夫)が好きだ。

 それからわたしは今、よしさんと出会うまでフラれっぱなし(原因ほぼわたし)というダメーな過去をブログに書いたことがきっかけで、恋愛ジャンルの記事を執筆させていただいている※1。

 でね、恋愛について記事を書いていて思ったの。

 

 好きな人とは対等にいるべきだぜって

 

 というのも、雑誌やWEB上にある「恋愛」の話題は、どこか思いが一方的なのだよね。わたしがつい最近ゾッとしたのは、年下の男性と付き合うメリットに「コントロールできる」と書かれていたことだ。

 その関係って、本当に「恋愛」なの?

 そもそも恋愛って、テクニックを駆使してまで、つかみとらなければならないもの?さまざまな手法を駆使して、しなければならないものなの?出会った人たちが交流を深めていく中で密になって、そっから関係ができあがるってだけでいいんじゃないの?

 恋愛感情なしで交際したって構わないし、短い交際期間で結婚しても構わない。っていうか恋愛しない選択肢だってあるし、ポリアモリー※だっていい。

 

 すべては、互いに「対等」なら。

 

 わたしはよしさんが好き。なぜかというと、よしさんは相手と「話す」ことで、自分の意見を伝えようとし、相手の考えを知ろうとするから。

 されても大丈夫なこと、されたら絶対に嫌なこと、好きな価値観、嫌いな価値観、すべて話してくれる。そしてわたしも話す。だから「なんだそれ、ムキー!!!」とケンカになることが少ない。話してるから。

 話していても価値観が違うこと、ある。しょっちゅうある。でも「価値観違うね」ぐらいで済む。

 

 一方、かつてのわたしは、お付き合いしていた人に対して「対等」じゃなかった。傷つけたこともあった。それは今でも反省している。

 時々、わたしは過去の恋愛を思い出す。

 当時のわたしは自分の価値観を押し付け、自分の思い通りにならないと腹を立てることがあった。大好きだという思いすら正直に伝えなかった。一方的な愛は、今考えると相当恥ずかしいものだ。

 でも当時のわたしの恥ずかしい振る舞い、相手に対して失礼だった思い出が、恋愛の記事を書くのに役立っている。「恋愛テクニック」と題する必要があっても、わたしはまず「対等」であることを重視して書く。

 読んでくれる人に、大好きな人に対して失礼なことをしてほしくないから。

 好きな人とは対等にいたいぜ。

 

 

※1 過去にわたしとお付き合いしてくださった人、当時のわたしの一方的なワガママに付き合わせて本当にすみませんでした。そして楽しい時間をどうもありがとう。

※2 ポリアモリーとは、“関与する全てのパートナーの同意を得て、複数のパートナーとの間で親密な関係を持つことまたは持ちたいと願うことを指す”とある。これを「浮気性」と捉える人もいるようだが、そういう捉え方をする人には“関与する全てのパートナーの同意を得て”の部分を受け入れてほしいものだと思う。