フリーランスと「生々しい経営」についてというnoteを読んで思った、わたしに足りないこと。
読んで思った、わたしに足りないこと
フリーランスの生々しい経営を記したnoteを読んだ。
わたしは自分のことを「引きこもり系フリーランス」と呼んでいるのだが、そんなわたしの月商はここで理想とされている額(265,000円)に達していなかったはずだ。
読み進めていくうちに(このままではやばい…)とも思ったのだが、考えてみれば、ここの例にあがっている必要経費の一部が大幅に欠如している。大幅に欠如している必要経費は「交際費」だ。
上記、まずは食費と交際費についてはもっとかさむことになると思います。特に交際費。人に会う機会をつくるのはかなり大事な「仕事の一部」なので、これじゃちょっと安すぎるかも知れないのでご注意ください。
”大事な「仕事の一部」”と書かれているにも関わらず、わたしはこの部分が大幅に欠如している。世間的には貧困層に足を突っ込んじゃってるのだが、それをものすごく焦っているわけでもないのは、人と会わない分お金が浮いているわたしだからだろう。
本来フリーランスとして生きるのは大変なことだ
フリーランスを崇め奉るかのような思想がこの世には存在するようだ。Twitter界隈やブログ界隈を見ているとそれをひしひしと感じるが、正直フリーランスという生き方は何一つ優しくはない。
営業も開発も企画も経理もぜーんぶ自分一人でやらなければならない。
だからといって会社員が大変じゃないだなんて思わない。
会社員も会社員で、会社を背負って仕事をしなければならないのは大変なはずだ。それから、たくさんの人と関わり合いながら仕事するのも、大変な人には大変だ。わたしにとっては会社員でいることのほうが大変だった。
わたしは会社員をやめている。しかしやめた理由は仕事内容やハラスメントを受けたことではない。人間関係で悩み、やめた。色々な人と関わることがつらくなってしまったのだ。
直接傷つけられたわけではない。
でも間接的に傷つけられたり、嫌味を言い合いながら仕事をする職場の人々の姿に耐えられなかった。わたしが耐えられなかったから、わたしが傷つきやすいわたしを変えられなかったから、やめた。
フリーランスのわたしに足りないこと
そんなわたしに足りないことは、人脈開拓。
人との交流。
人と関わる必要がある積極的な営業である。
しかし自分ではなく他人に向けられた悪意ですら傷ついてしまうわたしは、人と関わることが正直ものすごく怖い。「人間関係」という言葉に少しだけ恐怖心を感じてしまう。
新しい出会いが嫌いなわけではない。しかし新しい出会いと巡り合っても、ある一定の距離を保ちたいと願ってしまう。「わたしもあなたを深堀しないから、あなたもわたしを深堀しないで」という感じに。
新しい人脈開拓がとにかく苦手なのだ。
ただ誤解してほしくないのだが、わたしは人間関係を結ぶのが”苦手”なだけだ。人と関わりを持つことを死ぬほど嫌っているわけじゃない。
でも、仲のよい友人だろうが、初対面の人だろうが、人と会話するときにはとてつもなく緊張する(ものすごい量の脇汗が出る)。そしてその人との1日がどんなに楽しく終わろうとも、家で1人になった瞬間、どっと疲れが出る。
その疲れを味わいたくないという気持ちが強すぎて、なかなか自分から人と交流しようとしない。
それがわたしのフリーランスとしての最大の弱みである。
無理をしすぎず、やりすぎず
ただ、わたしの場合、仕事のしすぎというよりも、人との関わりにストレスを感じて体調を崩した節がある。だから、このままでいいとは思っていないものの、この自分の性質を無理に変えることもいいとは思わない。
精神的なストレスを強めては、フリーランスという生き方を選んだ意味がない。
なのでフリーランスとして生きていく上での目標として、”人に会う機会をつくるのはかなり大事な「仕事の一部」”という発想をもてるようになろうと思った。
新しい人脈開拓が苦手なのは認める。でも、だからといって人との関係を断とうとするのは避けようと決心した。
他人に向けられている悪意やもちろん自分に向けられた悪意で傷つきそうなときは、一旦逃げる。でも100%関わりを断とうとはしないこと。それが目標だ。
フリーランスの「生々しい経営」について書かれたnoteを読んで、お金の話題ではなく人とのつながりについて反省させられるとは思わなんだ。
しかし良い記事だった。
では。
◆本日のおすすめ◆
このコミックエッセイの内容も素敵。営業力、人との関わり力の強さを知ることができる。