ぬるぬる生きるブロガーが考える「スポンサー募集」について。スポンサーとの関係性、考えてる?

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先週行われたジャックナイトの翌日、スポンサー・純広告についてブログ界隈が賑わっていましたね。

ぬるぬる生きるブロガーが考える「スポンサー募集」。一意見として、読んでいただけると幸いです。

 

 

スポンサー・純広告について思うこと

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賑わう前から思っていたこと

 

好きにすればいいじゃない!!!

 

いきなり結論ですが、「スポンサーになって〜」「いいよ〜」ってやりとりが成立すればいいだけなのだから、好きにすればいいじゃない

 

例えばスポンサー依頼を断られたとしましょう。でもそれは就職活動や男女交際、恋愛関係と同じで、たまたまマッチングがうまくいかなかっただけじゃないですか。

界隈で「そもそもスポンサーってどうなん?」「こんなやつに金払って何になるん?」という話題を見て、なんか悲しかった。好きにすればいいじゃない。気に入らないなら自分がやらなきゃいいだけじゃない。

スポンサーに物申す!って人が全員そういう考えだとは思いませんが、どことなく、物申す!って言ってる人は嫉妬してるのかなあ…と思ったりして。静かにもやもや。

 

「出資する」に否定はしない

スポンサー・純広告のやりとりとはちょっと別物になりますが・・・

 

例えばわたしは、クラウドファンディング(CAMPFIRE)やpolcaなどでお金を集め、そのお金を公募展や画材購入に利用させていただいたことがあります。

だから出資する、お金のやりとりを行うことへの否定はありません

 

ただしその上で、わたしは

  • 意地でもリターンを返す
  • リターンなしでお金は集めない

と決めていました。

 

で、わたし以外の人が「リターンなし」でお金を集めていたとしても、それはそれ、わたしはわたしで割り切っています。

 

でも界隈の、イベント終了後のスポンサーに関する様々な意見を読んで、静かにもやもやしていて。

そんな中、ジャックナイト後に公開された小幡和輝さんという方の記事に、めちゃくちゃ「それな!」(語彙力)と感じました。

 

「お金を出す・出される」関係性を理解してる?

彼の若干辛口な、スポンサー広告についての件を引用させていただくと、

会場には自分のブログへのスポンサーを求めている方がたくさんいらっしゃいました。
それ自体はまったく否定しないし、個人が自分のブランドを高めて生きていくことには大賛成です。

引用元:http://www.obatakazuki.com/24630540

とお書きになったうえで、彼は「今回のイベントで誰のスポンサーにもならなかった」と書いています。理由はこちら。

みんな自分のやりたいことを語ってくれまして、それはとても素敵だし、僕にお金がいっぱいあれば応援したと思います。

しかし、お金は有限ですし、僕にも使いたいことがいっぱいあります。

正直プレゼンに来た人はみんな「自分が稼ぎたい」という想いだけでした。

そのお金をどう使うのか。それが社会にどんないい影響を与えるのか。

もう少しそういう視点で話してほしかった。

引用元:http://www.obatakazuki.com/24630540

・・・すげーわかりみ(語彙力)。

というか「そりゃそうだ」と思いませんか?スポンサーって「(資金面での)後援者」を意味するわけで、

仕事や計画などの後ろだてとなって、資金を提供したり便宜を図ったりして援助すること

引用元:後援(こうえん)の意味 - goo国語辞書

であって、そもそもそんな簡単に「スポンサーになってください〜」「いいよ〜」が成り立つわけがないんですよ。

特に彼のような「志が明確すぎる人」に軽いノリでスポンサーをお願いする人がいたのだとしたら、恐れ多いわ!!!と思いました。

 

投げ銭文化もあるけれど、人によるからね 

もちろん、この「スポンサー・純広告」についてザワザワしていた時、「投げ銭」のような文化もあると耳にしました。

それはうん、全然OK。「リターンなし」でも全然お金出しますよ〜、使いな、使いなーってな人はいます。

現にわたしだって、自分がお金を援助していただく側の時は「リターンなしは絶対やらないぞ!」って決めてるだけで、時々「リターンなし」のpolcaに投げ銭してますけど・・・

でも、それは人によるからね!!!

投げ銭になってもOKな線引きは、ぶっちゃけ「その人がその資金をどう使おうと、別にどうでもいい」と思ってるからできるんです。

払ったお金がどう使われようと、払ったのはわたしなのだから、「てめー他のことに使いやがってー」みたいな文句は言わないです、言えないです。

 

が、その部分を深く考えず「スポンサーになって〜」「いいよ〜」のやりとりを行い、「スポンサー募集・純広告」についての話題がゴタついたのはなんだか残念だなあと思ったんです。

 

小幡さんの記事の最後にあった

「お金出してくれるんだったら誰でもいいのか?」

って、かなり切実な言葉だと思いません?

 

スポンサーとの関係性について、もう少し考えたらどうか

「 好きにすればいいじゃない!」と言っておきながら、うだうだ言うわたしに、わたし自身も矛盾を感じますが・・・

 

やっぱり

という新しく、素晴らしい、資金援助の文化の成り立ち捉え違えてはいけないと感じたんです

「ただお金がもらえる」だけだったら、とっくのとうにみ〜んなやってるわ(笑)!!!

 

スポンサーやプロジェクトに共感して資金援助してくれる人、「リターンなくてもOKよ」と投げ銭してくれる人・・・それぞれの人との関係性についてもう少し考えたらどうか?って思います。

 

そして。

こんな話題を口にしたわたしではありますが、地味〜に「スポンサー側」としてデビューしています。

本日更新したもう1つの記事では、はじめてのスポンサー体験をさせてくれた青年について紹介してます。よろしければそちらも読んでくださいな。

では。