※ネタバレ全開なうえ、先に申し上げておきますがポジティブな感想はほとんどありません。8000字あります。あえて文字だけです。全てご了承のうえ、目次・本文をご覧くださいませ!
エピソード史上最低の”駄作”!
憤怒した。
”憤怒した”以上に、虚しくなった。
映画のエンドロールで、ジョン・ウィリアムズの素晴らしい音楽が”浮いたように”聞こえて虚しくなった。だから私はエンドロールを最後まで見届けることができなかった。
その理由をストーリー展開に沿って、赤裸々に語らせていただく。
冒頭5分で感じた絶望感
まず私が「期待していた”それ”とは違う」と感づいたのは冒頭5分だった。
ファースト・オーダーに追われ、反乱軍が戦いを挑み続けるのが冒頭の見所だ。ポー・ダメロンを筆頭に、ファースト・オーダーに空爆を仕掛けるが、ファースト・オーダーは反乱軍の爆撃機を次々に墜落させる。
あるアジア系の乗組員も必死に攻撃を続けるが、爆撃を受けてしまう。画面が真っ暗になる。
もし、ここですぐさまレイとルークの場面に切り替わっていたならば、ファースト・オーダーが反乱軍にもたらした”絶望感”が生まれたのでは?と考えている。
しかしこの監督はこの”ブラックアウト”の後、アジア系の乗組員が目を覚ますシーンを入れる。
必死になって爆撃機のスイッチを入れようとする乗組員。彼女は結局その爆発に巻き込まれ死亡するが、彼女のおかげでファースト・オーダーにダメージを与えることができる。
が・・・私が見たいのはスターウォーズの”主要な”登場人物の活躍である。
なぜかこの監督は、この冒頭シーンを筆頭に、乗組員一人一人を丁寧に映し出し、人間ドラマを描き出すことに徹していた。
そう、いきなりだが、これはスペース・オペラではなく人間ドラマだった。
その切り口も、全く新しいスターウォーズ・・・としては正しいのかもしれない。けれど私にとって”それ”はスターウォーズではない。
ポー・ダメロンに違和感
戦闘機パイロットであるポー・ダメロンは、前作エピソード7でも冒頭から登場し、活躍を見せた。反乱軍としての誇りを捨てない勇敢な男として描かれていたように思う。
しかし今作では、基地に戻ってきたポーはレイア姫に「命令に背いたから、仲間が多く犠牲となった」と咎められ、中佐から隊長へと降格させられる。
降格に不服そうなポーの姿に違和感しかなかった。
彼は必死になって「作戦を遂行するためだ」「俺ならファースト・オーダーを叩けた」と主張しまくる。でもこんな台詞、前作に登場したポーは言わないんじゃないかと思った。いくら破天荒な作戦に出がちな男に見える※とはいえ。
とにかく今回のポー・ダメロンはマジで”駄目”ロンである。超がつくほどのわがままボーイにしか見えない。
※エピソード7では、脱走兵であるフィンと共に敵のタイファイター(戦闘機)へ潜入し、ハラハラさせるような脱出劇を繰り広げる。
レイアよ、なぜ戻ってくる
映画予告編に、カイロ・レンが母親レイア姫を殺そうと決心し、追撃ボタンを押そうとするシーンがある。実際に彼はボタンを押すことができない。けれども彼の部下たちが容赦なく爆撃、レイア姫のいる中枢部を木っ端微塵にする。
爆撃を受けたレイア姫は、宇宙空間へ放り出される。
私はそのシーンを見た時「いいぞ!すごくいい絶望感だ!」と思った。
なのに次の瞬間、宇宙空間に放り込まれたレイア姫が映し出される(まるでマーベルコミックスの映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の感動的なシーンのように)。彼女は凄まじいフォースで、自力で宇宙船に戻り、昏睡状態にはなるが生き残る・・・。
納得がいかない。
なぜなら彼女はその後、フォースを使って敵を圧倒することもないからだ。
確かにあのアナキン・スカイウォーカーの血を引いているものの、訓練したことがないから使いようがない・・・それもわかる。でも、自分の身を守るために強大な力を炸裂させ、見せ場がそれで終わりというのはいかがなものか。
不謹慎な話だが、物語の”絶望”を生むために、命を失ってほしかった。
「お前誰やねん」感その1
昏睡中のレイア姫に代わり、新しい指揮官が登場する。それが新キャラで、パープルの髪の毛を持つ女優ローラ・ダーン。
・・・うん、で、誰?!
とかく重要な説明が省かれた状態で、にこやかに登場し、あたかも最初からシリーズにいましたよ感を醸し出す彼女のキャラクターに、”観客でしかない”私は困惑しかしなかった!
しかも彼女のシーンがやたら多い。
私が悔しいのは、エピソード8は印象的なシーンがほっとんどない。そう思っている。なのに新キャラ達の顔ばかりが浮かぶ。だけど彼らが何をしたのかは思い出せない。顔ばかりが浮かび、キャラクターの背景がとにもかくにも薄いのだ!
「お前誰やねん」感その2
もう1人、新キャラにローズという名の整備員が登場する。設定としては冒頭で爆死したアジア系乗組員の妹。
エピソード8はなぜかこのローズを主軸に話が進む。
決して彼女は主人公レイや敵対するカイロ・レンのような”主軸”さは生み出さないが、彼女のシーンがやたら多かった。台詞も多かった。台詞が多い割に「お前、誰やねん」ってぐらい”裏設定”の説明がなかった。
やけに前にしゃしゃり出て、共に行動するフィンよりも目立つ演出に思えた。というかフィンの影が薄く見えた。でも、その割にフィンぐらいスターウォーズファンの心を興奮させたかと思うと※、そうでもないと思っている。
※フィンには、エピソード7でファースト・オーダーに育て上げられた兵士であることが知られている。台詞内で表現されるだけだが、壮絶な過去が垣間見えるような”裏設定”がある。
気色の悪いメッセージ
フィンとローズは、ファースト・オーダーの暗証コードを破るために「コード破り」の男を探しにカジノばっかの惑星に向かう。カジノばっかの惑星に浮き足立つフィンと浮かない顔をしているローズ。
フィンが「ここって面白いね」と語ると、ローズは遠くを見てと彼に諭す。フィンの目に映るのは”奴隷売買”のようにして買われた子供が虐げられる姿だ。「私も同じ・・・」と語るローズ。「この星をめちゃくちゃにしてやりたい」
・・・そのエピソード、要りますか?!
いや、何かを訴えたいのかもしれない。世界的に有名なスターウォーズを利用して、”世の中の恵まれない子供達に救いの手を・・・”といったようなメッセージを載せたかったのかもしれない。そういうのは確かに大事なのかもしれない。
でも!
私が期待していたスターウォーズには、わざわざメッセージで”民族多様性”を載せる必要はないと思っている。そもそも広い宇宙の話だ。たくさんの宇宙人が登場する。わざわざメッセージで訴える必要はあるのだろうか。
気色悪かったのは、”人類皆平等”みたいなメッセージを載せた割に、監督が映し出す宇宙人の姿が”人型”ばかりなのだ。
というか人の顔のシーンが多い。
もっと異形の宇宙人が登場してもいいはずなのに、”人”ばっかり目に入る。
載せたいメッセージに説得力がないように感じた。
「お前誰やねん」感その3
ベニチオ・デル・トロは好きだ。
だけど「コード破り」として登場した彼の立ち位置が全くよく分からなかった。
なぜ収監されていたのか、なぜ簡単に脱獄できるのか、なぜファースト・オーダーから不審な目を向けられることなく買収されることができたのか。
なぜ尽くしなのに一切語られず、ただただ不信感だけ漂わせて画面から出なくなる。
見ている私としては「なんか知らんけど、ベニチオ・デル・トロが出てきた」って感じである。
正直言えば、新キャラクター3人がもっと無名でもよかったんじゃないか、ないしは、役名がなくてよかったんじゃないかって。そのぐらい無意味な3人に思えたのだ。だけどやたら彼らの顔のアップが多い。だから印象には残る。
でも、だから何?
スピード感のなさ
レイとルーク、フィンとローズ、ファースト・オーダーと反乱軍という3つのエピソードが交互に繰り広げられるのだが、どれもスピード感がない。
特にファースト・オーダーと反乱軍の艦隊同士の追いかけっこは驚くほど絵が地味だ。
スペース・オペラなのに!!!全然絵が動かない!私が見たいのは艦隊の描写じゃなくて特有の音を鳴らしながら火花を散らす艦隊同士のバトルだっちゅうに!!!
ノロノロ動く艦隊同士が、ひと〜つずつ丁寧に敵機を爆破していく描写など見ていて楽しいか、これ?!と思ったものだ。とにかくエピソード1〜7にない、史上最低の遅さである。
ドラマ『24 -TWENTY FOUR- 』なら分かる。実際の時間に合わせて物語が進む、あの感じは斬新だった。
でもこれはスターウォーズだ。なぜ小一時間ぐらいの逃走劇にしか見えない艦隊同士のバトルが、3時間ぐらいに感じるクソ長い映画で描かれにゃならんのだ。
一番見たいシーンが薄い
後半で書くが、ルークとベン・ソロ(カイロ・レン)の確執のシーンはものすごく良かったと思っている。なぜならルークが闇を恐れ、無自覚に闇を広げていたカイロを恐る重要なシーンだからだ。
なのに、その一番見たいシーンに心がぐっと引き込まれた瞬間に、言い方は悪いが、どうでもいいローズのくだりとか、どうでもいいダメダメポー・ダメロンを見させられたりする。
なんでだよ!今、いいとこだっただろ?!
カット割、物語の進行、全てにおいて、一番スターウォーズらしいところを削り、スターウォーズらしからぬところを重視したように思える。
スノーク、気づけ!気づけ!
なんか知らんけど、ベン・ソロと強く結びついたレイは、スノークの前へ連れて来られる。で、最高司令官とかいうスノークに脅され、ルークの居どころを知られてしまう。用済みだと言われたレイ、ベンに処刑されそうになる。
ベンは、目の前のレイを自分のライトセーバーで殺そうと近づきつつ、フォースの力でスノークの横にある”レイの”ライトセーバーを操る。そしてスノークの腹部をグサリ。
スノークはあっけなく上下に体を分断される。
が、その前のシーンでスノークはフォースを使って対抗しようとしたレイを軽くあしらったり、ベンに「お前の考えていることは分かる」とまで言っている。
そんなスノークが、ライトセーバーの刃先が自分へと向いていく様子に気づかないほどの馬鹿なのか?と思った。スノークを貫くライトセーバーは結構しっかり動いている。あの場にいれば多分「カタカタ」くらいの音は出ただろう。
まさか、スノーク・・・自分の台詞に夢中で気づかなかったとでも?!
あまりにあっけない最期は百歩譲って許そう。しかしだよ、お前、ライトセーバーが真横で動いているくらい気づくだろう!視野狭すぎじゃない?!物語の都合があまりにも良すぎじゃない?!
なんで普通の地上戦なの?!
追い込まれていた反乱軍だけれども、度重なるラッキーで何とか一時的に”昔の”基地へたどり着くことができる。が、すぐに敵が追ってくる。
その対処法は地上戦である。
戦争映画や映画『ワンダーウーマン』でもおなじみの、兵士たちが堀に潜み銃撃を繰り返すシーンである。確かに燃料も切れ、艦隊も減り、仲間も減った中でどんぱちするのは現実的ではないかもしれない。
だけどね、これは”スターウォーズ”なんだよ。
私が見たかったのは地上戦ではなく、宇宙空間を「パヒュンパヒュン」音を鳴らしながらどんぱちするスペースオペラなんだよ。
挙句飛び道具的に登場する、ミニチュアサイズのデス・スターもどれほど最悪な兵器なのかが全く伝わってこないのだ。
なぜなら、ここまでず〜っと反乱軍がラッキー続きだからだ。もう見ていても「どうせうまくいくんだろうな」状態である。言わんこっちゃない、このとき登場するラッキーはルーク・スカイウォーカーの登場だ。ほら見ろって感じだよ笑。
今、キスシーンはいらない
順番が前後したかもしれないが、ルークが登場する前、ミニ・デス・スターを止めるためにポーやフィンがボロッボロの戦闘機でファースト・オーダーに立ち向かうシーンがある。ただ作戦の都合上「無理!」と判断され、撤退を余儀なくされる。
フィンは「いや、俺たちが止めるべきだ」とポーからの命令を無視し、ローズとともにミニ・デス・スターへ飛び込もうとするが、ローズがフィンの戦闘機に激突することでそれを止める。
そして「なぜ俺を止めたんだ」というフィンに対し、「止めたんじゃない、助けたの」「これも”勝つ”ということよ」「憎しみじゃなく愛で勝つのよ」などと言いながらフィンにキスをし、意識を失う。
違うだろー!!!
よくわからないキスシーンの後ろで、反乱軍の基地の扉がミニ・デス・スターによって破壊されていく。
私は思った。「いや、違うだろ」と。今のキスシーンは違うだろと。
あの時、ローズという役がいかにKY(もう死語?空気読めないって意味ね)かを思い知らされた。観客である私はポカーンである。もう口がポカーンである。
え?今なんて?今なんて?愛が大事とか言った?反乱軍がやられてるのに?フィン1人を救うためにレイア姫の方を放置するわけ?!
ファースト・オーダーが馬鹿すぎる
結論から言えば、カイロ・レンは自分を殺そうとしたルークと対決するもおちょくられ(ルークの精神体と戦っていたので、殺すことができなかった)、あっけなく反乱軍を逃してしまう。
ファーストオーダーのトップであるハックス将軍とカイロ・レン。この2人の仲が悪いのは、エピソード7の時点でみんな知っている。しかしだよ、彼ら2人の学習のしなさはいかがなものか。
これじゃあ、ファースト・オーダーって馬鹿だよねで終わってしまう。
本当に星を支配している脅威なのかよ、ってぐらいまんまと反乱軍を逃す。
・・・いや正直、今回のエピソードに限り、反乱軍もまあまあ馬鹿だとは思う。
しかしだよ、馬鹿VS馬鹿の戦いを見せられ、ラッキー続きの反乱軍と、キレやすい若者が2人で統治しているファースト・オーダーのマヌケっぷりを見せられて何が楽しいのか。
なに「若者は向こう見ずで馬鹿だからトップには立てない」的暗喩な訳?!ってぐらいカイロ・レンとハックス将軍が全然報われない。報われなさすぎて哀れ。驚くほど哀れな映画であった。
続く・・・と言われても困る。
ルークとベンのくだりは良い!
ただ私個人の意見だが、ルーク・スカイウォーカーだけは想像以上に良かった!
ルークを演じたマーク・ハミルはそりゃ年を取ったし、もさいおっさんにはなっていたけど、動作一つ一つがルークのままだったので驚いた。
一番驚いたのは、ルークとベンの確執のシーンである。
ルークの表情が素晴らしい
まずルークは「カイロ・レンに襲われた」ことをレイに話すのだが、実はベンサイドから過去を見てみると、ベンの闇を恐れたルークが”ベンを殺そう”とした事実が浮かび上がる。
ベンは自分の身を守るために力を使い、かつ師によって絶望させられ闇に堕ちた。
この時ルークサイドとベンサイドで同じシーンが描かれるのだが、ルークの表情が全く違うのが魅力的だった。
しかもどちらも確かに”ルーク”の表情なのだ。
ルークサイドのルークは、まだフォースの力を使いこなせてなかった若い頃の、ダース・ベイダーと対峙した時の”恐怖”に近い顔付きでベンに殺されかける。エピソード4、5あたりのピュアなまま恐怖を味わっているルークの顔だ。
一方ベンから語られるルークの表情は、フォースを習得し、訪れる闇がどれだけ深いのかを知り尽くした男の、決心からくる恐怖の表情だった。冷酷さにも感じられるその表情は、ダークサイドを止めなければならない使命感にかられたルークの顔でもあった。
この対峙がものすごく見事であり、老いているけれど確かにルーク・スカイウォーカーだということを知らしめてみせた。マーク・ハミルは生粋のルークなんだなと思った。
ベン・ソロの表情も良い
ベン・ソロも良い表情である。ルークに襲われた時のベンの目は、本当に深い絶望と悲しみと恐怖に満ちていて、今でもなお父を殺めたことに苛まれることのあるベンの弱さを物語るようだった。
この2人のシーンが良かっただけに、エピソード8は悔やまれる。だって、ここのシーンをもっと、ちゃんと、たくさん見たかった。
主要キャラの印象が薄かった
私が見たかったのはエピソード7の続きだ。
期待していたのはレイの物語と、フィンの物語と、カイロ・レンの過去と、ポーの空中戦と・・・。でも悲しいかな、映画を思い返しても浮かぶのは新キャラの顔ばかりだ。だのにストーリーが全然思い出せない。
レイやフィン、カイロ・レンの物語が見たかっただけなのに。
例えば、レイがどれだけすごい逸材なのかが、正直全くわからない。
もちろん描写やシーンでは伝わるよ、なかなかハードなことをしでかすからね。地割れとか。だけど「なんかすげー力」をクソ長い映画で見せられてもげんなりするだけだ。
金の匂いがする映画だった
一緒に観に行った夫から意見を聞いた。すると、
- ”●●●ニー”は、エピソード9でシリーズを終わらせる気はない
- スピンオフや新シリーズに繋げるための物語
- グッズ展開のためにキャラクターを増やしたのでは?
- シリーズを知らない人のためのキャッチーさだろう
という推測がかえってきた。
私 「でもそれってスターウォーズが好きな人には、全然効果ないじゃない」
夫 「新規開拓が目的なら、そういう人はターゲットから外れるんじゃない?」
本当かどうかは知らないし、これは私たちが出した推論にしか過ぎない。けれど、様々なシリーズを生み出し、大量の作品で小さくヒットを生み出し続ければ、未来永劫スターウォーズというコンテンツは続く。
だからこそ”エピソード1〜9”で終わっちゃ困るんじゃないかと。お金を生み出し続けるのであれば、いろんな世代に届くいろんなアプローチでスターウォーズを続けるべきなのではないかと。そのためのエピソード8だと。
あえて新キャラクターの説明を省きまくったのも、派生する物語を増やし、金のなる木の枝を増やす目的もあったのではないかと。
加えて今回、話の本筋に関係のない新キャラクター(マスコット化しやすいやつ)もめっちゃくちゃ出てきた(変な鳴き声の鳥とか)。
これ(↑)、結局映画内で活躍するわけでもなし、ただただ場面に刷り込まれるように登場するだけだった。
金の匂いがする。
「キャラクターが可愛い」それで人気が跳ね上がり、グッズが飛ぶように売れる。それこそが今回の映画の目的なんじゃないかって疑ってしまった。
生粋のスターウォーズファンがこの映画をどう評価したのか。それはまだ拝見していないのでなんとも言えない。ただ少なくとも、一ファンである”私”の心は離れかけている。しかし・・・それで構わないのだろう。
だって、グッズを買ったり、注目してくれる”新しい人たち”を重視しているような気がするから。
私のような、古くから映画が好きで、スターウォーズが好きなファンは、もう必要ないってことなんじゃないか・・・。
でもそうだとしたらめっちゃくちゃ悔しい。
だからどうか、エピソード9は”素直に”終わって欲しい。
スペースオペラの代表として、素直に、面白く終わって欲しい。
最後に
一番悲しかった話をする。
私の2個左に座っていたおじさまは、おそらく私なんかより、もっとずっとスターウォーズファンだと思う。
オープニングロール、あの有名なテーマ曲が流れた時、彼は嬉しそうに手で指揮を始めた。勝手に体が動いてしまうのだろう。静かに奥様に諭されていたけれど、彼は動きを止めなかった。私は「ああ、この人もスターウォーズ好きなんだな」と思った。
冒頭5分あたりから、彼は身動き一つしなくなった。
感嘆の声も聞こえなかった。
「これは見たかった"それ"と違う」、そう思ったんじゃないだろうか。
追記
このブログを書いた日の夜、ツイッターを見ていたら「#もしあの監督がスターウォーズを撮ったら」というハッシュタグを見かけた。もしかしたら、割とみんな同じ感想を抱いたのかしらん・・・と思った。
と、同時に、映画を思い返しているうちに、笑いがこみ上げてきた。私の心にこんな言葉が浮かんだからだ。
「・・・何を見させられたのだろう」
なんか、夢でも見てたのかなってくらい、思い返してもポカーンとする。
今でも出来には満足してない。「えええ?!スターウォーズですよね?!天下のスターウォーズですよね?!」っていまだに問いただしたい笑。
でもここまでくると、怒りではなくなってしまった笑。今は、世間様から心地よく”駄作”認定されることを望んでいる。そっちのほうが・・・なんか気分が良い気がして。