こんにちは、齋藤吐夢です。
「メンタルが弱い」ことを人に指摘されることが多くありました。
指摘してくれた人は、さりげなく何気なく、ひとりの意見として軽く指摘してくれただけなのでしょう。でもメンタルの弱い私は、その指摘に落ち込む日々が続いていました。
今は、その弱さを受け入れて”折れない心”を手にしています。
「メンタルが弱い」は悪いことじゃない
「メンタルが弱い」という指摘は、やはりあまり心地のいい言葉ではないように思えます。その後に付随するイメージと言えば、情けないとか身体的にも弱そうとか・・・。
メンタル弱い=マイナスイメージなんですよね、どうしても。
でも別に悪いことではないと思うんです。
指摘されたからと言って、言葉は悪いですが”勝手に”罪悪感を抱く必要もない。
メンタルを強くする方法自体は簡単
「メンタル 弱い」と検索すると、浮上してくる内容はほぼメンタル強化についてのコツばかりです。これも決して悪いことではないし、励まされるし、大切なことだ。
でも正直メンタルを強くする方法なんて簡単で、方法自体は簡単で、やってみるか否か、変わりたいと思うか否かの方がよっぽど重要なのであって。
だから私は”受け入れる”という方法をオススメしたい。
弱さを受け入れ、自分を認める
例えば私は、小さな頃からず〜っと「タフそうに見えて、実は超メンタル弱い」人間です。
長く付き合っている友人は全員知っていますが、知り合ってから短い人には、傷ついた姿を見せると大変驚かれます。
ただ私は結局ず〜っとメンタルが弱い人間ではありますが、その事実を変えようとするのではなく受け入れることで、逆に”折れない心”を手に入れることができました。
周りからの評価はあくまでも”評価”であり、私自身を否定している言葉ではないということ。指摘はあくまでも”指摘”。私はこういう人なんだ、と認めるだけでそれに気づくことができました。
要するに、真に受けなくなったんですね。
弱さを”他人の描く”強さにしなくていい
何度も言う通り、結局メンタルの弱さは変わっていません。だから「解決になってないじゃないか!」と憤怒する人もいるかもしれません。
でも”他人の描く”強さにならなくてもいいんじゃないかと思っています。
メンタルを強くする方法は、やっぱりどれも参考になるし、一理あるな〜と思えるものばかりです。でも自分が本当にその姿になりたくない場合には、あまり参考にならない。
結局、人は「変わりたい」と思うばかりで、実際に「変わる」に実行できる人なんてほとんどいない。「なりたい」と「なれないかもしれない」が先行して、「なってみる」という選択肢に手が伸ばせない人が多い。
だったら最初から「ならない」。
「メンタルが弱い」自分を認めてしまえば、それだけでもう”折れない心”は持てたことになるんじゃないでしょうか。
だって指摘されても、「そうですよ」という返答しか必要ないのだから。
「メンタルが弱い」にも長所がある
メンタルが弱い人は、恐らく自分に対して刃を向けすぎる人なのだと思います。言葉が悪いですが、”勝手に”解釈して傷つくからメンタルが弱いんだと思う。
でもその分、相手に対して刃を向けない人も多いんじゃないかと推測しています。
相手の気持ちを尊重できる人。
ただ尊重しすぎて自分に刺さった刃に気づかないのが難点なのだけれど。
相手の気持ちを理解できる、しようとするって、「相手のことを考えることができる」人間の特権だと思うから、自覚があるなら誇った方がいいと思うのだよ。
こういう人には注意
ちなみに「メンタルが弱い」と指摘してくる人は、経験上「自分がそうじゃないから全然言える」人が多いです。そりゃ、そうか笑。
ただ「自分がそうじゃないから」と言って、相手が傷ついたかも?という推測もせず、むしろ傷つく姿にイキイキとする人間に出会った場合には、その人から逃げましょう。
相手を傷つけたいだけの人間に、用はありません。
メンタルが弱いことに対する自覚を受け入れることはオススメしたけど、わざわざ傷をつけられに行く必要はないから。
もう十分”強い人”だと思う
「メンタルが弱い」を受け入れた時点で、受け入れた・認めたという”折れない心”を持った時点で、すでにその人は強い人間だと私は思ってる。
どうすればいいんだろう・・・って戸惑っている人には、解決策を探し、変わろうと努めている人は、もう確実に強い人間だ。それをまた自分で認めてほしい。
世の中にはある程度、弱いものイジメが好きな人がいる気がする(無自覚も含め)。そんな人からは離れて結構だと思う。そういう人に弱さを指摘されたなら、強くなる方法はひとつ。その人から逃げる。
何でも行動に移せれば、その時点であなたは強い。
私はそう思ってる。
では。
◆本日の一冊◆