こんにちは、齋藤吐夢です。
クソがつくほど真面目な自分を、自信をもって自分です!と認められるようになりましたが、真面目すぎてもやっぱり良くないな、とは未だに思います。
『真面目でなぜ悪い』と銘打っておきながら!と思われるかもしれませんが、自分の身を守るためには、何事もほどほどがちょうど良いのです。
ほどほどに生きよう
その”ほどほど”っていうのが、完璧主義だったり、真面目過ぎる人にとってはよくわからない感覚かもしれません。感覚的に言うと、
「ちょっと?!本当に?!本当にこんな手を抜いていいの?!」
って焦るぐらいが、真面目過ぎる人達が最初に味わう”ほどほど”の感覚かと思います笑。が、端から見ると、全く手抜きに見えないことがほとんどです。
他人は他人に興味ない
要するに、他人はあなたが手を抜いているかどうかに目を光らせるほど、あなたに感心を抱いていないんですよね。
もちろん稀に「どうしてこんなに突っかかってくるのかな?!」てくらい、あなたを攻撃する人もいますけど、基本的にはそんなに他人のことを見ていません。マジで。
だからあなたが一生懸命真面目に、頑張ったとしても、報われない、報われないとあなたが思ってしまうのは、誰も見てないからです。
なのに、自分の人生を他人のために頑張りすぎちゃって疲れるって、もったいなくないですか?
真面目すぎるとこうなる
私はルールや周りの目や、立場や役割等々を気にしすぎる真面目女でした。
きっと同級生のうちの何人かは堅物だの面白みがないだの好き勝手言ってたかもしれないし、そもそも目に入っていなかったことでしょう。
でも私は決められたことをキチキチこなし、リーダーになった時には皆の意見を均等に取り入れようと頑張っていました。意見が割れれば、双方が良いように解決できないか真剣に悩みました。
私という極端な例
ただコレは決められたグループ内だけだったら、せいぜい学校内、会社内の人間関係ストレスで済んだのですが、この真面目な感性は、会話を交わすことのない他人へもひっかかります。
その対象は、マナーを守らない人、煙草のポイ捨て、車の割り込み、クレーマー等等。
何で彼らはこうなんだ、どうしたらこんな誰かが嫌な思いをする世界はなくなるんだ!と本気で悩み、解決策を考えに考えていました。
ただね、ブログで何度も書いた通り、病気になって入院した時に悟った。
自分以外のことで自分が病気になる。
これって、どうなの?って。
規則を守らない他人を未だに許せない感情はあるけれど、それをまともに受けて、私のせいじゃないのに、私が病気になることの馬鹿馬鹿しさ。それに気づいた。
真面目なのは別に間違いじゃないけど、ほどほどじゃないと、ある意味コレ自体が病気なのかも知らんと。そう捉えられてもおかしくないのかも、と。
「まあ、いっか」と言う
それで、ほどほどに生きることで、心身の健康を維持しているわけですが、そう簡単に性格や感性をまるっと変えることはできない。
だから私は、真面目過ぎる、完璧主義過ぎる自分が出てきそうで、それで疲れそうになった時には、口に出して、
「まあ、いっか」
と言っています。
この言葉、意外や意外、自分のことはオールOKになる不思議な言葉です。何に置かれてもそう。自分のこと限定であればオールOKになる。
何が起きても、まあ、いっか
この発想に落ち着くのは、私が「いつ死んでも後悔しないように」という思想の持ち主だからかもしれないけれど。それでも「まあ、いっか」と思う。
今が楽しければいいや。
やりたいことできればいいや。
好きな人と出会えたらいいや。
とりあえず今死ななきゃいいや。
許容範囲をゆるくしたら、真面目なままゆるゆる生きることが出来るし、真面目で損してきた自分を必要以上に責める必要もなくなった。
だからね、なんか苦しくなったら言ってみてくださいな。「まあ、いっか」って。案外うまくいくもんです。Take it easyってやつですな。
では。
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◆本日の一冊◆
ゆる〜く生きるぞ〜