こんにちは、齋藤吐夢です。
プログラミング自体は、面白いと思ってます。
エンジニアになれるか、と言ったら誰も雇ってくれないレベルではあるけど、HTMLとCSSをほんの少しかじっただけで、世界の広がりが変わった。
けどそこで高みを目指して、お金払ってスクールへ参加してみたら、自分のための投資に失敗した、と思ってしまった。
なぜ失敗したなあ、と思ったか、赤裸々に話すよ。そして少しでも私のやり方や性格に近いものを感じるのであれば、私とは違う方法でプログラミングを学ぶといいと思う。
失敗するのはこういう人
結論から述べるが、これからする話は私の失敗談である。私は以下に示すような人間だったからこそ、このプログラミングスクールに向いていなかった。
- 自分で調べればある程度理解できる人
- 移動時間や拘束時間へ疑問を感じる人
- 講師がそこにいるだけの空間に疑問を感じる人
- 講師、生徒の人間関係の構築で学ぶ意欲が湧く人
私の失敗までの流れをぜひ読んでいただきたい。そして、何かを学ぶ時、何かにお金を支払う時に、金額と内容がそれに見合うかどうか考える人になってほしい。
有名なプログラミングスクールへ
インターネット上では様々なプログラミングスクールが紹介されている。通信教育的な感じで、独学で進めつつ、チャット等で講師と連絡を取り合うものや、自ら出向いて学ぶもの。いわゆるパソコン教室のようなものまで、本当に様々。
中でも私は私の愛読していたブロガーさんが体験していたプログラミングスクールに興味があって、「ああ、いつか挑戦してみたい」と思って、そのタイミングをはかっていた。
受講スタイルが変わっていた
2017年に入る直前で、正式に会社を退職し、これからは完全なるフリーランスで、フリーターで、ある種のぷーたろーとなった時、記念に自分投資しようと決めた。
1つは自分がずっとやりたかった芸術方面での出費、もう1つはフリーで生きていくための技術としてプログラミングを学ぶことだった。
そして「いつか挑戦してみたい」と思っていた短期集中型のスクールに手を出した。
その時に雰囲気を汲み取れれば良かったのだが、生憎私にその能は飽きれるほどない。
かつて私が愛読していたブロガーさんは、1ヶ月に週1回、3時間以上の講義を受け、他はもう予習復習予習復習の繰り返しで、ぜいぜい言いながらWebスキルをマスターしていた。
しかし受講スタイルは代わり、特別講義はあるものの、基本的にはフリースタイル。自分で時間を決めて通い、その場にいる講師を質問攻めにするスタイルに変わっていた。
しかし、迷うことができなかった。体験の余裕もなく(探せばあったのかもしれない)、受講希望者以外は、説明会の次のステップに進みづらい仕組みになっていた。
受講を決意するも
しかし私にはもう後がない。会社という組織から外れたのだ。給料は自分で得る以外方法がない。お金は着々と減っていくばかりである。スキルを手にし、仕事の幅を広げなければ、と思っていた。様々な知識を学ぼうと2ヶ月通うことに決めた。
初登校でやられる
自分で大体の通う時間を決め、決められた場所へ向かう。私のような気分で体調が左右されるものにとって、まあまあな苦行だが仕方がない。
つけばシンとした室内に、様々な年代の人がパソコンを叩いていた。1日およそ4〜5人、講師は1〜2人。しかし、講師と生徒の見分けがつかなかった。
そして案の定「何を質問すればいいのか」分からないのだ。これはもう、どちらかと言えば私自身のミスである。
昔から私の悪い癖であって、なんとなくなら内容が理解できてしまうのだ。そしてその先の込み入ったところに、そもそも私が興味がない。
挙げ句、隠れコミュ障な私の嫌な予感は的中していた。
講師なのか、生徒なのか分からない人が親しげに話している。コミュ障の心は壁をつくりあげていくばかりだ。
完全なるアウェイ空間。講師陣の誰もが、初めて登校した人に気づかないのだ。私以外の初登校者にもそうだったので驚いた。
「誰だお前・・・あ、初登校?」みたいな目線が苦しい。コミュ障の思い込みの強さが自分の首を締める。人間関係の相関図が全く理解できない空間にいると息が苦しくなっていく。
課題はクリアできる
自分でつくりあげた課題を黙々とクリアしていく。課題はクリアできる。自分でつくりあげた課題だから、きっとクソほど簡単なのだろうし、特に壁にぶつかるわけでもない。
壁にぶつかった時、数回質問をしたが、プログラミングという性質なのだろうか(こkは本当に分からない)、問題点の解決に「ああ、ここだよ!ここが違うんだよ!」という気持ちいい解答が返ってこない。
もちろん講師は人間だから、すんなり答えられないのは当たり前っちゃ当たり前だ。しかし私の中で「教師」や「講師」が「ここはこうでね!」と熱心に指導してくれるものだと思いこんでいた。
が、問題点が分かるや否や(というか、ぬるぬる会話していく中で私が問題点に納得した)「じゃ・・・他にはもうないよね」的な雰囲気で、これまたぬるっと去って行く。
決定的な出来事でやる気を失う
数回目で、プログラミングスクールに入社したばかりなのだろうか、ここの指導方針の雰囲気と少しずれた講師に当たった。
彼は丁寧に、親身になって共に考えてくれたが、問題解決には至らなかった。仕方なく次の課題へ進み、壁にぶつかった時、他の講師がやってきた。
真摯に見てくれたその講師は、私の問題点解決をともに見たかったのだろう。後ろへそっとやってきて覗き込むようにして私のパソコンを覗いた。
その時だった。
後ろにやってきた講師に向かって、他の講師は
「なに?」
と冷たく言い放ったのだ。
その講師もその講師で、解決できなかった問題の話をすればいいものをしどろもどろだった。
講師陣の人間関係に居心地の悪さを感じ、やる気をなくした。
その後の解答も
そしてその後、冷たく言い放った方の、すごく性格悪く言いますが、スクールの創業者っぽいいわゆる”できる”感じの講師がカタカタと私のコードをいじる。
その時発生した問題点は、ヘッダー部分を固定せよ、という指示に従いコードを打つと、文章は固定されるが、背景が突然消えるというものだった。
彼は私の方を見ることなく、黙々とコードを入れては変化しない画面に「ん?」「ん〜」などと言いながら、打つ、見る、やり直すを一人で繰り返している。その間、私は待ちぼうけだ。
約10分後ほどたって出た結論はこれだった。
「うん。Background-color、付け足しちゃいましょう」
別にその解答に不満はなかった。
しかし「ごまかしている」ような気がしてしまった。
プログラミングの性質かどうかは分からなかったが、根本的解決ではなく、「よく分からないけど見た目だけだから、足しちゃえ」と言われているように思えてしまった。
なんや、うまくだませればいいのか。
そう捉えてしまった私は、やる気を失くした。
独学で十分かも、と思った
これをきっかけに教室へは通っていない。だから20数万円のうち、お金で換算すると1万円程度しか通っていないかもしれない。非常にもったいないし、我ながらバカだと思うが、独学で十分だと思ってしまった。
そもそも「お金のためにスキルを学ぶ」という動機が私の中で間違っていたのかもしれない。興味関心を深めるくらいならProgate1本で私は大丈夫だったのだ。
私がProgate1本で十分に思えたのは、気になったら調べる意欲があるからで、良い意味でも悪い意味でも、自分一人で解決しようとする癖があるからだ。
要するに、その気力でProgateに出される課題を解き続ける根気があれば、20数万出して、交通費出して、講師陣の人間関係が良くもない空間へ行く必要はないのだ。
失敗するのはこういう人
冒頭でも紹介したが、私がこういう人だからこそ失敗したのである。
- 自分で調べればある程度理解できる人
- 移動時間や拘束時間へ疑問を感じる人
- 講師がそこにいるだけの空間に疑問を感じる人
- 講師、生徒の人間関係の構築で学ぶ意欲が湧く人
私の夫はかつて家庭教師のバイトをしていた。夫は生徒の勉強を見張る仕事をしていた、と言っていた。教えるのではなく、やる気を出させ、見張り続ける仕事。
例えば彼の担当した生徒の幾人かは、それで志望校へ合格できたようだが、やはり何人かは向いていなかった。私は恐らくその彼の指導方針に向いていない生徒の1人だ。
私は教える側同士、教えられる側同士、そして教える側と教えられる側のディスカッションを期待していたのだ。ブロガーさんが体験していた方針はそんな感じだったはずだ。
だから要するに期待が外れたわけだ。
ただ、それだけなんだけど。
しかし20数万円の投資に失敗して良かったこともある。お金を出すことにより慎重になったのだ。全く全てが良いことだとも思わないけど。
何に重きを置くかが、これではっきりしたのだ。
通う意味を見いだせないなら、もう通わない。
学校も会社も。
では。
◆本日の一冊◆
多分私は、この本とProgateで十分だったのだ。