こんにちは、齋藤吐夢です。
戦争映画を観るのが本当に苦手で。気分が落ち込んでいる時に観ると恐怖で号泣し、眠れなくなることを知っているので滅多に観れません。
そんな中、精神状態が割と安定していたから、という理由で『この世界の片隅に』を観てきました。本当に観ておいて良かった映画でした。
この世界の片隅に
噂の又聞きみたいな感じですが、クラウドファンディングで資金を集めた映画なのですね。
エンドロールで投資してくれた人達の名前が挙げられていましたが、色んな人が協力しあって映画はつくられるんだなあ、と改めて思いました。
あらすじ
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。
良かった点ばかりだった
正直悪いところが1つも見当たらなかった。私はアニメ映画に苦手意識があるのだが、むしろアニメ映画だったからこそ観ることができたとも思っている。
戦争と日常が隣り合っている姿は滅多に観ることができない。観たくもないけれど、それを見事に見せつけてくれる映画だと思った。
だからこそ、ほんわかとした絵柄のおかげで最後まで観ることができたのだと思う。
絵柄と現実のギャップ
空襲警報は日常茶飯事だし、戦争をお国同士がやってようと、日常生活は続く。主人公すずさんを始め、キャラクター1人1人の造形はほんわかとしているが、現実描写は容赦ない。
でも、本当にこの頃は、死と隣り合わせだからといって怯えていられるほどの余裕もなかったのかもしれない。ただ毎日を生き続けなければならない。淡々と。
そんな絵柄と日常生活と戦争を描く現実のギャップに心を鷲掴みにされた。絵柄が緩和してくれたからこそ、あの頃を直視できたような気がしている。
のんの声がぴったり
能年玲奈、改めのんが声優を務めたことでも話題になった作品だが、のんはすずさんであり、すずさんはのんであった。本当にごく自然で、本当に聞き入ってしまった。
あの力の全く入っていない感じが、「とろい子だね」と言われてしまうのほほんとしたすずさんそのものだったのかもしれない。
とにもかくにも、のんが声を当てているなど、一度も意識せずにキャラクターを観ることができた。これは声優冥利につきるのでは?と勝手に思っている。
ぞっとするシーン
ほんわかとした絵柄を褒めちぎっているが、ほんわかとした絵柄の中にも時折ぞっとする、絵柄でも隠しきれないシーンが挿入される。死の匂いがしっかりと分かる。
あるシーンで、血の流れる絵を観た時、私は瞬時に胸が締め付けられるような感覚になり、恐怖で体がすくむ体験をした。苦手なアニメ映画で、心が苦しくなり、しんどかったのは生まれて初めてだ。
未だにあのシーンだけが、頭から離れず、油断するとあのシーンに毎日が持っていかれるほどである。そのくらいショッキングな絵がしっかりと挟まれる。
戦争は良くないと分かる
この映画のすごいところは、それでも日常を淡々と描くから、余計に戦争は良くないことだと分かる。
誰が観たって分かる。
戦争の利点なんてどこにあるんだと憤怒するほどの残酷さが分かる。
誰かを失う。大事なものを失う。そんな恐怖をそんな軽々と味わってはダメだ、ダメになる。
そのことが容易に理解できる映画である。
蛍の墓を観た時にも、近しい気持ちになったが、下手すると蛍の墓以上に激しく刺さる。蛍の墓が正面から殴りにくるのなら、この映画はよそ見している時に真横からぶん殴られる感覚だ。
目を背けるなと。
もう一度は観られない
良い映画だったし、観られて良かったと思っているけれど、もう一度観ることはできない。重すぎて。
すずさんの魅力的な表情だけなら何度だって観たい。でも観るためには、戦争の事実を何度でも目に焼き付けなければならない。
簡単に忘れられる映画ではないから、それは安心。でもつらい思いをわざわざ何度もしたくはない。傲慢だけど。
バリバリの戦争映画だった。
では。
◆本日の一冊◆