文章を書く時、絶対に意識しなければならないのは”相手”。

こんにちは、齋藤吐夢です。

f:id:tomu_saito:20180224162530j:plain

ブログを書く時も、ライター仕事をする時も、意識していることは変わりません

”相手”の存在が第一

このことを教えてくれたのは、他でもない大学院時代の教授です。何度も論文や発表資料を突き返されたことで学ぶことができました。

「小・中学生にもわかる文章を意識して書け」

「研究していない人が読んでも分かるよう、意識するんだ」

私は今、研究論文を書いているわけではないけれど、意識は変わってない。考えるのは読む”相手”のことだけ。

 

 

まず”相手”を考えなければ

f:id:tomu_saito:20180226163911j:plain

もちろんここから偉そうに書く私だって、読みづらい文章の書き手かもしれない。だって読みやすい・読みにくいを決めるのは、やっぱり読み手でしかないからね。

ある人から見れば「ケッこんな読みづらい文章があるかよ」と貶したくなる文章レベルかもしれないし、褒めてくれる人の中には「読みづらい文章に味があるのだよ・・・」と言う人もいるかもしれない。どちらもまあ、嬉しい。だって評価だから。

 

ただいずれにせよ、「読まれたい」なら”相手”、すなわち”読者”を意識しなければ

 

読むという労力を知る

読む、という行為は疲れる。受動的ではいられないから疲れるのだ。

ただ文章を目で追う”だけ”なら疲れないかもしれないが、それでは読んだものが少しも身にならない。身になる「読む」はめちゃくそ疲れるはずだ。理解しようと必死なのだから。

 

その「読む」という労力を意識しなければ、”相手”を考えた文章など書けない。そう私は思っている。

 

ぶっちゃけ皆「読んでいない」

ミステリー小説などになると、一節の見落としが最後の結末に大きく影響することもあるだろうから「一言一句逃さず読むぞ私は!」って人もいるんだろう。

ただ、「読む」というのはそこそこ労力のかかる作業だから、ぶっちゃけ皆ちゃんとは文章を読んでないはずだ。分かりやすいのがスマホで読む文章だ。皆がスマホで文を読む時のスピードは早い。私だってそうだ。30秒も読んでないと思う。

 

例えば文字を大きくしたり、下線をひいたりする。すると、その部分しか読まない人だっている。

 

全てをくまなく読む、なんてやってられないのが現状だ。

 

伝えなければ伝わらない

ただし、ぶっちゃけ皆読んでないからと言って「伝える」ことを諦めれば、そりゃ一向に何も伝わらないってのも事実だ。当たり前ですね、”伝えてない”んだから。 となりゃあ、その前提のもとでも伝わるように書かねばならぬ。さて、困ったね。

 

私が文章を書く時には、

f:id:tomu_saito:20180226164815j:plain

そんな私、以下のことを考えて書きものをしています。

特に”自分”を出さず、仕事として淡々と情報を伝えたい時には、書くこと以上に「情報収集」から気合いを入れている。いかに読み手に有益か、を考えねばならんのです

 

情報収集に一番の労力をかける

まず伝えたいことが決定したら、自分がその内容に納得いくまで情報収集する。導入となる情報から探して、ニュース、研究論文、レビューなどあらゆる方面からその情報について調べる。

例えば私が農業関連記事を書く時、農業の最新研究について書かれた論文をあさりまくる。ブログやエンターテイメント記事で、映画や本を紹介する場合にも、一読者、一観客の域を超えて触れようとする。撮影秘話や裏設定なども探す。

 

わからないならわかるまで調べる

情報収集していると、自分がわからない専門知識にぶち当たることがある

 

そんな時、私は「私がそれを説明できるようになるまで」徹底的に掘り下げる。私がその意味を分かるようになるまで、文章は書かないのだ。

 

ライター仕事を始めたばかりの頃、とにかく書こうとして、なんでもいいから書こうとして、専門外の記事から何から全部着手した。そして知る。書き手に専門知識がないと、読み手が「なんのこっちゃ?」となる文章しか書けないのだ。

 

これを知った時、面白くて、怖かった。自分が分かってないのが全部伝わってしまう。だから私がそれを説明できるまで何度でも調べる。だって情報を求める人のために書く文なのだから。

 

専門用語はできるだけ抜く

それでいて「この用語の意味、わからないだろうな」という前提のもと、専門用語を抜いた文章を書くように努めている

小・中学生でも理解できるようなわかりやすい言葉で置き換えることができるか、それが書き仕事の醍醐味だと思う。専門用語の羅列は一見スマートだが、分かってなければ少しもスマートではない

 

定期的に執筆させていただいている記事に関して、これが最も難しく、楽しいところだ。どれだけ噛み砕いて研究内容を説明できるか、これを考え書く時間は、苦しく楽しい。

 

見出しだけで理解できる構成に

加えて、ちゃんと読まれないことを前提に、見出しだけで内容が理解できるような記事構成を意識している。もちろん本音は「文章全てを読んでほしい」。でも自分だって結論だけ読んでお〜わり!ってこと、あるもの。

目次だけで内容を把握し「もうちょっと詳しく知りたいな」って時に、文章を読んでもらえれば十分。

 

かつての私、文章を書く時に大事なのは、書くこと以上に「伝えるためにどうすべきか」という”相手”への想いなのだわ・・・と知る。

 

一文をできるだけ短く

それから、一つの文章をできる限り短くする

私自身、油断すると読点(、)を多用し、どんどん文章を続けてしまう癖がある。が、不要な読点は全て句点で置き換える。詩的な文章は、情報発信系の記事には必要ないからね。

 

分かりやすいは当たり前だから

f:id:tomu_saito:20180226172040j:plain

そしてそんな当たり前の”分かりやすい”文章を書くためには、どれだけ”相手”を意識しているかが勝負である。

 

かつて私は「自分らしい文章」「自分らしいブログ記事」が書けずに悩み、キャラ設定などをすべきかと真剣に悩んだが、そうじゃなかった。そもそも”相手”を考えた読みやすい文章を書かない限り、文章なんて読まれもしないのだから

 

読みやすさ重視の文章を書くようになってから、ようやく自分らしさを追加できるようになった。もちろんこの自分らしさとは「自分が!自分が!」という主張・・・というより、ライターとしての差別化である。フリーランスは生き残らなきゃいけないからね。

 

文章だけに限らず「〇〇されたい」という時には、”自分”が〇〇されたくてもまずは”相手”が第一、これを忘れないでいただきたい

 

”相手”を置いてきぼりにすると、相手にされないという皮肉が待ち構えているよ。

では。

 

◆本日の一冊+α◆

最近読んだ「伝える」勉強になる本2冊

 

クラウドワークス とブログを始めたての時に熟読したブログ2つ

naze7000nanoka.hatenablog.com

matsuokamiki.com

今もお世話になってます(ありがとうございます)。