あなたなら、どう死にたい?どう生きたい?

こんにちは、齋藤吐夢です。

 

本日は、死生観の話

 

※私の死生観は、あなたを傷つけるかもしれません。不快に思われたらごめんなさい。でも包み隠さず、日頃から思っていることを書きます。

 

 

死について考えること

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私事ではございますが、昨年から引き続き、親族の死や身近な人へ近づく死の匂いを感じ取りながら生きています。私が20〜25歳の時は「自殺したい」と思うほど心を病み、死が近い生活を送ってきました。

 

死が常に近くにいる、そう感じる私には時々、漠然と思い浮かぶことがあります。

 

「どう死にたい?」

 

でもこれは「どう生きたい?」と同義語だと思う

 

以下、私の死生観。

 

死ぬって”普通”のこと

私にとって、”死”はかなり普通のこと

 

人間誰だっていつかは死にます。人間だけでなく命あるものはいつか死にます。そう思っているからこそ、私にとって”死”は、決して特別なことではない

 

とは言え私だって、もし大切な人達が、私にとってどうでもいいような人物のどうでもいいような理由で殺されようものなら、その死に対して嘆き悲しみ、犯人に襲いかかるほどの感情をわき立たせる自信はあります。

それでも、起きてしまった”死”の事実は受け入れると思う。受け止めざるを得ない。いつか死ぬのが早まっただけなのだから。

 

死そのものを覆すことはできないから。

 

死ぬって怖い?

けれども、私はもうすぐ死にゆくその人本人・・・ではありませんから、その人の心に寄り添うことができません。その人にとって死が恐怖でしかない時、それを取り除くことはできません。だって私は死なないから。

 

でも私は、死という”未経験の恐怖”を、”未経験の好奇心”にどうにかして変えられないものか、と常日頃から考えています。

 

「死ぬのが怖い」のは、

  • 死には”経験者”がいない
  • 誰も”死の結果”を知らない

から・・・なのでは?

 

もちろん唐突に訪れる死、例えば災害、事故、事件などを好奇心に変えるのは難しい。だって全くもって望んでいない死なのだから!

 

どんな死に方で死にたい?

けれども、生きているうちに苦しい闘病を経験しているのであれば、死はある種のゴールとも言えませんか?「私、今までよく頑張った!」と誇ってからの死、それも構いやしないと思うのです。

例えば私が再び病気になり、今度はそれを食い止められず「正直、この後はいかにつらくないかを考えて処置します」って言われたら、出来る限り潔く死にたい

一応頑張ってはみるけれど、泣き言を言いながら死ぬのではなく、そろそろ来る死にネガティブにならずに「どんと来い!」って死にたい。

 

死よりも怖いものがある

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正直に申し上げると、私は葬式もお墓もお墓詣りも苦手です。それは多分、私が「死んだらそれで終わり」とキッパリ思っているから。だからこそ、生きている人が執り行う葬式やお墓、お墓詣りにどうも納得できない。

 

葬式やお墓、お墓詣りは”生きている人のためのイベント”だから、「なくなるべき」とは思わない。死を悲しむ人を尊重して、参加もする。でも(もし私の頭の中を見られたら、その場にいる人たちにメタメタにされるだろうな・・・)と思っている。

 

悲しくないわけじゃないけど、頭のどこかで「だってもう死んでるし」と思っている

 

お葬式で泣かないわけじゃない。だけど、私が泣くのは周りの悲しい空気が悲しいのであって、故人に意識は向いていない。

 

故人を見ると「死んでいる身体」という認識の方が強い。生命活動を終えた体、という認識が強い。生命活動を終え、”1体”と呼ばれるようになった身体への興味がわいてしまう。

宇宙の終わりと始まりじゃないけど「なにもない」ってどんな感じなんだろう・・・そこにある身体、細胞、造形、空間、全てに興味がわいてしまう。

 

このことがどれだけ人を傷つけるものなのか分からない

 

これが死よりもずっと怖い。生きている人を傷つけるほうがよっぽど怖い。だからこそ、私の死生観はなかなか表立っては話せない。だからこそ、今回ブログに書くことができた。

 

どう生きたい?

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とはいえ、もちろん全員が全員、こんな思想なわけがないってこともわかっている。

現代ではごく当たり前のように「生>死」の構図が出来上がっているから(医療の現場も社会的にも、道徳的にも)、わざわざこの死生観を広め、今の構図に歯向かおう!みたいな気概もない。

死ぬ話ばかりしていると、「ネガティブもポジティブも関係ねえよ、死ぬな!」って言ってくれる人もいる。

 

でも私にとって、死は抗えないだけで”普通”のことなのだ。

 

死にたいわけじゃないから「じゃあ、この場で今すぐ死ねよ!」って言われたら逃げるだろうし、「じゃあ、殺してあげる」って殺されるのもちゃんちゃらゴメンだが、いつかそうなるかもしれないって思いながら生きているのは事実だ。

 

「どう死にたい?」はそのまま「どう生きたい?」を意味する

 

いつ災害や事故や事件や、はたまた病気で命を落とすか分からないから、毎日死ぬ気で、言葉通り”死ぬ気で”生きている

 

あなたなら、どう死にたい?どう生きたい?

 

私は生きていた時楽しかった!って思って死にたい。

私は死んでも悔いはないなって思えるように生きたい。

 

では。

 

◆本日の一冊◆

この死生観、割と好き。