こんにちは、齋藤吐夢です。
最高だった。
うん。うむもいわさず最高のSF映画であった。スターウォーズのようなスペースオペラSFも愛してやまないが、やっぱりSFはこうでなくちゃ!ってね。
※ネタバレします。ストーリーに関する詳細なネタバレは書きませんが、観た人にしか分からないようなワード沢山出てきます。観てない人はぜひ観て!そして「私はこう思う」と意見してほしい。色んな人と語り合いたい映画だ、これは。
ブレードランナー2049を観てきた
(↑)後述するけど、独特な音楽がクソかっこいいのよね。
新宿TOHOシネマズには、いくつものスクリーンがあって『DOLBY ATMOS』という音響力抜群ので観たんだけど、 音だけでも高揚しちゃうような映画だった。
ブレードランナーとは
カルト的な人気を誇る映画『ブレードランナー』。
1982年に公開され、独特で少々難解なストーリーと、人間と見た目が変わらない人造人間レプリカントの切ない設定に、心を揺り動かされた人は決して少なくないはず。
私は1991年生まれなので、当時の『ブレードランナー』の熱狂を知りません。
でも映画好きな父によって何度かその名を聞いており、その世界観に影響を受けながら育ってきたと言っても過言ではない。SF映画好きは父のおかげだ。
レプリカントを追う捜査官デッカード(ハリソン・フォード)自体も、人造人間であるレプリカントなのではないか?という論争が巻き起こるほど謎に包まれた作品でした。
『〜2049』のあらすじ
今回観てきた『〜2049』はいわばその続編です。デッカードが特別製造された美しいレプリカントの女性・レイチェルを連れて逃げ出してから30年の月日が流れています。
主人公であるK(ライアン・ゴズリング)は新型のレプリカント。
新型と呼ばれるレプリカント達は、今はなきタイレル社(レプリカント製造会社)に代わって製造を行なっている投資家ウォレスによってつくられたもの。
Kは旧型と呼ばれるタイレル社が最後につくったレプリカント・ネクサス8型を”解任”という形で見つけ出しては処分する仕事をしています。レプリカントがレプリカントを殺します。
そんな中、あるレプリカントの骨が発掘され、そのレプリカントに帝王切開の痕が見つかります。操作を進めるうちにKは「自分がそのレプリカントの子供なのではないか?」と思い始めるのですが・・・
ココが最高!
(↑)映画評論家の町山先生が書いてらっしゃるー!
主人公のレプリカントKと、前作『ブレードランナー』で残った謎を追求していくような映画ですが、とにもかくにも切ない!
3時間近くあるなっが〜い映画ではありますが、これでも短くしたほうなんじゃないかな。なんせブレードランナー、謎の多い物語だからこそ楽しい長編だと思う。
特徴的な音楽
THE・近未来感な電子音とびりびりとした重低音が、ものすごくブレードランナーの世界に私達をひきずりこみます。
『DOLBY ATMOS』で聴いていたから余計そう思えたのかもしれないけど、とにかく低音に引き込まれる映画で、あの重苦しい世界観が音だけで十分表現されている。
「ああ、私は今ディストピアな世界を観させられている・・・」
ワクワクする未来感ではありますが、重厚感のある音楽によって全然ユートピアに思えない。むしろドえらくディストピア。有無を言わさずディストピア。
重厚感ただよう近未来
前作では日本の歌舞伎町をイメージした街並でしたが、今回もまるで東京都心部にいるかのようなゴミゴミとして冷たいイメージのある街並が印象的です。
前作同様、環境汚染の影響で雨が降り続けてどんよりとしている未来。ビルが立ち並び、3D映像の広告が目を惹きますが、何か重苦しい空気がつきまといます。
レプリカントに植え付ける”記憶”を製造している女性研究者のシーンで、一瞬だけ豊かな自然が目に入りますが、そのシーン以外はずっと空気が重たい。
未来を憂いでいるような映像に、感動しつつ少しぞっとしました。
人間らしさとは何か
ブレードランナーを観ていて、いつも思うのが「人間らしさとは何か」。
レプリカント達は人間となんら変わりありません。
でも彼らは人間の代用品でしかなく、開拓困難な土地での労働力や戦闘要員などを担うためにしか存在意義がありません。それってすごく悲しい。
だからこそ人間のように生き続けるために、前作では4体のレプリカントが脱走をはかり「寿命を延ばす」要求をします。
今回だって、新型が旧型を殺す仕事を担っているけれど、人間は手を汚さない。汚すのはレプリカント同士だけ。血も流し、死に、姿も形も人間そのものなのに人間ではない。
”人間もどき”という差別用語も出てきます。
「彼らと私達の何が違うんだろう。どうしてこうなってしまうんだろう」と観る度、考えてしまう。
『〜2049年』では、その思いがより複雑になり、とにかく苦しかった。
Kの存在
Kはレプリカントでしかありません。
記憶を植え付けられ、人間の指示する仕事に従順であるように設計されたレプリカントでしかありませんでした。
それでも彼は自分の意思で動き、デッカードを助け出す選択をしたのだと思いたい。デッカードを子供のもとへ連れて行ったのだと思いたい。
これもレプリカントとして仕組まれた、という話だとしたらあまりにも切ない。そうであってはならないと思いたい。
Kの存在は、映画を見終えた後もずーっと頭に残っています。
ある1人の男の話だった
(↑)ケトルの特集も愛が詰まりすぎてて面白かった笑。
一緒に観に行った夫は「これはKの映画だ」と言っていましたが、全くもってその通りだと思いました。
正直・・・映画としては、何一つ問題や疑念が解決されないまま終わるのでモヤモヤします。誰が人間で、誰がレプリカントかも正直よく分からない。
人間とレプリカントの境目なんて、とっくのとうに崩壊しているのだと思う。
ある1人の男、レプリカントであるKが出会ってしまった事件の話でしかなく、彼の生涯の一部を私達は覗き見しただけ。ブレードランナーの世界観の中で。
そう考えると、前作を大事に大事にしている監督の愛がよ〜く伝わってくるから、前作のファンである私がめちゃくちゃ感動してしまうのも納得できる。
批評家の間では「前作を知らない人には分からないマニア向け映画」と評されたと耳にしますが、ブレードランナーそのものがすでにかなりカルト的、マニア向け。
だからそれでいいとも思っちゃうのよね。
ヤられました、ありがとうございました。
では。
◆本日の一冊+α◆
カルト的に人気な映画の筆頭だよね、コレは。
アートブックとか・・・最高かよ!