興味がないことができない。でもそれで自分の身を守れる人もいると思うよ、という話。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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私は「興味がないことは極力やらない」人間です。

 

このことについて、度々正反対の意見を述べてくれる夫は「 興味の幅が狭まる」「興味・関心が狭まってもったいない」と言っていました。

 

ただ私は、「興味がないことができない」「興味がないことをやらない」ことで自分の身を守っている人がここにいるよと伝えたいのです。

 

 

自分の身を守れるとは?

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例えば私は「興味がないことは極力やらない」と決めたのですが、私はこの選択をすることで自分の身を守っています。

 

特に精神面を。

 

必要以上に疲れずに済む

例えば人間関係において。

 

興味のない場所へ飛び込んで行って、合う人と出会う確立って少ないと思うんです。そもそも飛び込んで行った私に「興味がないから」。

 

私の場合、合わない人達と無理して付き合いを続けると、後でどっと疲れがきます

 

「できない・やらない」という選択肢は、これを避けることができます。

 

とはいえ、私だって「食わず嫌いはもったいない」と思っています。この点に関しては「興味の幅が狭まる」につながると考えた夫の考えに同意。

 

経験したことのない場には、私だって果敢に挑みます。

 

が、それ以上の興味がわかなかった場合には次の機会を設けません。「経験した」というだけで十分な収穫です。

 

これ以上の疲弊・消耗を避けるために次はありません。

 

ニガテを無理に克服せずに済む

興味がないことの中には、「=ニガテなこと」もあります。

 

ニガテすぎて、可能であれば遠ざけたいもの、それが結果的に興味がないことにつながっています。私の場合は、やっぱり人間関係なんですが笑。

 

ただ私は「ニガテはニガテでいいじゃないか」と思ってるんです。

 

得意な人が補ってくれればいい。その分、私の得意で人のニガテを助けられればそれでいいじゃないかと。

 

合わない人と無理に会話を続けて、どうにかして場を盛り上げようだなんてしなくていいんじゃないか。”合わない人にとって合う人”が代わりを努めてくれれば双方に利があるでしょう。

 

彼は「興味の幅が狭まる」と忠告してくれましたが、私の場合、ニガテ意識の強いものに力を注がずに済んだおかげで、新しいもの、新しい人への興味は広がっていきました

 

八方美人にならずに済む

上で紹介した「ニガテを無理に克服しないで済む」に近い考え方でもありますが、八方美人にならずに済むと思っています。

 

興味がないことを「ある」と言い切り取り繕うこと、これは思っている以上に精神的に疲れます。

 

無理して周りに合わせることで、自分の首を締めてしまうくらいなら、私は「興味がないことはやらない」「興味がないことができない」人で十分だと思うのです。

 

興味がないことができない

そもそもこの話題をブログで書こうと思ったのは、先で紹介した夫の意見がきっかけです。

 

私は、人はそれぞれ別の個を持っているのだから、「ああ、そういう意見もあるのだな」それに対して「好きだな」「嫌だな」ぐらいでいいじゃん!と思ってます。

 

が彼にとって見れば、この考え方は「社会人としてどうなの?」と。

 

ニガテもへったくれもないよ、社会人として当たり前のことが何でできないの?という意見でした。

 

「人付き合いはできて”当たり前”」

 

そういう人も”普通に”いるのでは?

そのように言われ、「興味がないことができない」に思い悩んだ私はグーグル先生にキーワードを打ち込み、助けを求めました。

 

すると主に表示される項目は「アスペルガー症候群」という発達障害

 

私は診断を受けたことがないし、私は多分他人の感情を共有できていると思っているので、恐らくアスペルガー症候群ではないでしょう。

 

でも私はその検索結果を見た時、「社会人としてできて”当たり前”」のことができない人の存在を知り、彼の意見の全てを受け入れるべきではないと思いました。

 

「できない=常識的におかしい」ではないんですよね。

 

正反対の意見は時に新しい知見をくれます。でも全てを受け入れる必要はないなと思ったんです。

 

彼から見れば私は「社会人としてどうかと思う」部類の人間です。

 

ただ「興味がないからできない・やらない」を選択することで自分の身を守っている人がここにいますよ!と、思い悩んでいる人に伝えられるのは”私”のほうだと思った。

 

できない人がいたっていいと思う

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「できない」「やらない」という否定語に対して、激しい拒否反応を示す人がいるけど「できない」「やらない」だから「かっこわるい」だなんてこと絶対にない

 

「できない」「やらない」を選択することで、自分の身を守ることが絶対悪だなんて思わない。むしろ「全部できます」「全部やります」人間のほうが私は不安だ。

 

いつか壊れてしまうような気がして。

 

私は今まで、”否定”することがクソほど下手でした。NOと言えない、嫌だと言えない、それはつらい、それはさみしいと言えない人でした。

 

だからこそ今は「できない」「やらない」選択肢が増えて良かったと思ってる。

 

できない人がいたっていいじゃんってね。

では。

 

◆本日の一冊+α◆

やらない選択を!

もうこれは名作です・・・!