社会的弱者のサバイバルについて考えてみた。脳みそがでっかいだけの脆い生き物、人間様だぞ。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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小学生の頃から動物について学ぶことが好きで、人間という生き物がすこぶる嫌いでした。脳みそがでっかくて、あれこれ知恵を働かすけど、多分実は一番弱い生き物。

 

人間はすぐ自分の都合の良いように解釈できるから、動物にも社会があって〜なんて話をするけど、実際にあるかどうかなんて”人間側”からしか把握できない

 

そういうのを考えると、社会が厳しいなんて人間にしかあり得ない話で。

 

だから”社会的弱者”と呼ばれる私たちは、脳みそがでっかいだけの脆い生き物だって自分を認めて、ゆるやかにサバイブするのがかしこい気もするのだ

 

目次

 

私は社会的弱者

社会的弱者の定義を調べてみると、

雇用・就学の機会や人種・宗教・国籍・性別の違い、あるいは疾患などによって、所得・身体能力・発言力などが制限され、社会的に不利な立場にある人。 高齢者・障害者・児童・女性・失業者・少数民族・難民・貧困層などが社会的弱者となり得る。

引用元:社会的弱者(シャカイテキジャクシャ)とは - コトバンク

※個人的には、この説明書きの時点で”女性”という性別が含まれていること自体がなんだか世知辛いと感じた。この定義だと女性=社会的弱者。そうでない時代よ、早く来い。

 

この感じから見ると私は社会的弱者の立場にいると言える。在宅ライターとしてそれなりの収入を得られるようにはなったものの、社会的な書類には”無職”だからね。

 

社会的弱者にみんな厳しい

それでさ、全員が全員そうでないことぐらいは分かっているけれど、分かっているけれどやっぱり社会的弱者に対して優しい世界だとは思えない

 

書き物の仕事柄、公的制度なんかを調べることが多いのだけれども、その制度を使うべき人にうまく伝わらないような制度の複雑さには反吐が出る。

逆に活用しやすそうな雰囲気のものが、所得が低ければ低いほど損だったりして、なんだか調べて書いて、切なくなったよ、私は。

 

「税金のおかげで救急車は無償なんだよ」って話をしたとき、それよりもっと大事なもんがあるだろ!と声を挙げるのは、たいてい救急車には縁のない”健康な人”ばかりだ。

健康な人が恩恵を受けられないからこそ、社会的弱者へ当たりが強くなるのかもしれないけど、それってなんだか気味が悪い。弱者は切り捨てるものなのかと、ぞっとする

 

社会的弱者はどう生きるべきか

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それで私は考えた。社会的弱者と言われる私たちはどうしたらいいのかって。

 

脳みそがでっかいだけの脆い生き物、私たち人間様は、人間様だけでもヒエラルキーが存在して。その底辺はたくさんいるのに、もやがかかって見えないようになっている

見えないようになっているというよりは、誰も見ないようにしているだけだと思うけど

 

だから社会的弱者は自らの手でサバイブしなきゃならない。自殺しちゃう人もいるかもしれない。でもできるだけそれは避けよう。いいじゃん、ただの脆い動物なんだから。

人間様の社会から外されたなら、外されたんじゃなくて「自分から外れさせていただきます」って動物に帰っちゃおうぜ笑。

 

自分を守ることに徹しよう

私流のサバイバルだが、私は今「自分最優先で動くこと」を意識している。

それでもまだまだ家族や夫に対して「こう立ち回るべきなんじゃないか・・・」って悩んで疲れることもあるが、できる限り「自分最優先」でいようと考える。

 

なぜかって社会が結局最初っから最後まで、名も知らぬ他人のために手を差し伸べてくれるような優しい世界に見えていないからだよ!

 

だとしたら、自分を守れるのは自分しかいないのだ。

 

何が悲しいって、自分を大事にしているつもりでも、人は突然病気になるし、突然死ぬ。でも見ていると、私より体に悪そうな生活をしていても、図太い人は健康だ。

 

動物的に考えれば、社会的地位とか財力ではなく、健康体が一番サバイブできる

なら、自分を守ることに徹し、心身ともに健康にいようではないか。

 

プライドは緩やかに捨てる

また社会的弱者であることに対するプライドは緩やかに捨てていこう

わざわざこのブログを書いている私のように「社会的弱者です!」と宣言する必要はないが、要するに、そんなことを気に病む必要もない

 

だって社会的弱者を決めつけるのは、自分以外の他者であって、その他者が揶揄するために使うこともあれば、救いの手のために名付けることだってある。

 

相手が勝手につける名称に対して、変に頑になってもいけない。社会的弱者呼ばわりされても、生きているだけマシぐらいに捉えてしまおう

 

右から左へ受け流す

それでももしプライドが捨てきれなかったら、それはそれでもいい。だってその人自身を形づくる存在がプライドなのかもしれないし、それは大事にしよう。

でも他人からの黒いモノ、悪口とか揶揄とか嫌みをまともに受けていては身が持たない

 

そこでムーディー勝山よろしく、右から左へ受け流すのだ。

 

社会的弱者はヒエラルキー最底辺なのだから、その底辺でてっぺん争いしても大してかっこよくないことぐらい、恐らく全員が分かっている。

なら全てをさらりと受け流し、それが何か?と息をする。ただそれだけで、”人間”の価値、尊厳は維持できる。

 

”社会的”弱者か否かなんて、動物として意味あるもんであってたまるか!

 

ぬるぬる生きてみせる!

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正直”無職”呼ばわりも、女性としての立ち位置や役回りの世知辛さも、うんざりうんざりである。

ただ、立ちはだかる”社会的弱者”の壁にがむしゃらに打ち当たり、自分がケガをするばかりで何も変化しなかったことも重々承知している

 

だから私は考え方を変えたのだ、この世に生き残るために。

 

ひたすらぬるっと生きている。

 

もちろん時々憂うつな時期のせいで”息しかしてなくてごめんなさい状態”に陥ることはあるが、基本スタンスは「うるせー、息ぐらいさせやがれ」である。

 

動物として、ヒトの意味さえ失わなければ、OKなんじゃないの。

では。

 

◆本日の一冊◆

割と好きな漫画でした。「健康で文化的な最低限度の生活」というもやっとした定義よ。