”友達”の存在は大きい。”構ってちゃん”の私が、友達を大事にしたいと思ったきっかけ。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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私には、あまり友達がいません

いや、正確には多分全然いると思うんですが、付き合い方がわりかしドライなのかもしれんな、と自分で反省することがあります。

 

だけど”友達”の存在は大きい

それを感じる出来事がありました。

 

”友達”の存在は大きい

私が自分から「あ〜そぼ!」「会いたいなあ!」と思う友人は、そんなに多くありません。いや、もちろん何人が基準とか元々ないけどね笑。

そんなに沢山の友人がいるわけでもないから、誰かにランダムに電話かけて「今日飲もうぜ」「いいよ」的な友情の経験はありません。

 

別に”ランダム電話で会う”が絶対条件ではないけれど、そういう”いつでも気軽に”系友人がいないため、精神的にしんどい時には一人で抱え込んでいました

 

Facebookで弱音を吐く

それでいて私はとにもかくにも”弱い”。だから誰かに言葉を拾ってもらえないかな、という下心ありありで、SNS上に弱音を吐きます。そうです、構ってちゃんなんです

 

特にFacebook上は、顔を見知っている知り合いしかいないにも関わらず、毒や弱音を吐きます。あまり見ていて心地の良いものではないことは分かっています。

 

でも、どうやって現実の人に頼ればいいかよく分かってなかった

 

最近元気?が凄く嬉しかった

そんな時、ここ最近立て続けに友人に会える、友人から連絡が来る機会があったのですが、「元気なかったよね」「最近元気?」「病んでない?」が嬉しかったんです。

もちろん構ってちゃんの私は、最初っからそれを求めて言い出していたようなもの。いささか自分でも何てクズな人間なのだろう、と思いつつ喜びました。

 

ただ、あそこまで純粋無垢な目「大丈夫?」「病んでない?」と問われると、その言葉欲しさに私から振ったくせに、本当に、本当にありがとう!と思ったのです。

 

私は所詮”構ってちゃん”

私は所詮”構ってちゃん”だから、誰でもいいから痛み分けしてくれ〜!!!と思って弱音やら毒やら痛々しい言葉をSNSに載せます。

 だけど、割と真剣に答えてくれる”友達”という存在を知って、愕然としたのです。

 

なぜなら彼女らは、とっくのとうに私の”構ってちゃん”を知っているから

 

知っていて相手してくれていたのです。一番迷惑をかけたであろう学生時代から数年経って知った事実。

 

自分自身の行いが、

とても恥ずかしくなりました。

 

大事にしたいと思った

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いつかの友人に言われた「学生の頃から齋藤はそんな感じ」とか、心配してくれた友人の「弱音を吐けただけいいじゃない!偉い!」という言葉にどれだけ救われたことか。

 

だから私は友達を大事にしたいと思った。

 

映画ペイ・フォワードではありませんが、良い行いを彼らに返したい。彼らがもし心身ともに弱ってしまった時に同じ言葉が言えるようになりたいと思ったのです。

 

私には、あまり友達がいません

 

そう書きましたが、当たり前だけど、友達は数じゃ決められないよね。

 

友達の存在は大きい。

 

ただの1ブロガーのお願いに過ぎないけど、

身近にそう思える存在がいたら、本当に大事にしてね

では。

 

◆本日の一冊◆

友情をテーマに・・・と考えたら真っ先にコレが浮かんだ。