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怒りと向き合うには。私が怒りを吐くことで誰かの心を支えたいし、負を正に変えられるなら変えたい。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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 「怒り」という映画は、原作から精神的にキツすぎて観ることが叶いませんでしたが、予告編でナレーターが発する「怒り」というたった一言に衝撃を受けて、予告編No.1だと思ってます笑。

今回はそんな(?)怒りについてお話します。

 

嬉しい出来事があった

実はTwitterにて、私のブログを読んでくださっている方からコメントをいただき、

 

「怒り」に関する話はほんま頷く部分が多くて、勇気をいただいています。

引用元:https://twitter.com/i/notifications

 

というお言葉が本当に本当に嬉しかったのです。この場でもお礼申し上げます。ありがとうございます。

 

とかく私の中には性悪な部分怒り感情渦巻く瞬間が多々ありまして。

そんな折、ドロッドロのその怒りをそのままブログに載せることで、誰かの怒りの代弁や不安の解消につながっているのなら嬉しいな、と思っていた矢先のことだったので嬉しくて嬉しくて。

 

先輩の言葉を思い出す

コメントをくださった方へも書いたのですが、私は大学院にいた時、仲の良かった先輩から「お前はなんか常に怒ってる」と言われました。

先輩は、私がすぐにぷんすかぷんすかするのをなだめてくれたのかもしれません。しかし私は怒りそのもの自分の存在意義に捉えられるなと思ったのです。

 

怒りと共に生きている

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怒りの感情は正直言って、あまり心地よくありません。怒りの矛先を間違えれば相手はもちろん自分も傷つくし、モノに当たればモノは壊れ、周りも自分も不快な思いになる。

でも怒りの持つエネルギー量ってとんでもないものだし、本当「魔法少女まどか☆マギカ」じゃないけど、少女の絶望ではなく怒りがエネルギーに変換できたらどんなに良いことか!とか本気で思うわけで笑。

 

怒りと向き合うのは

だからそんなエネルギー膨大な怒りと向き合うのは正直大変で。

冷静に怒りを分析するのはマジで難しいな、って思います。やんわり抑えられない。うーん、困る。

 

例えば私の場合怒りが厄介なのは、怒りが膨らんだ時に「なんでお前ごときに私が冷静にならなきゃならんのじゃ」がひょっこり現れ、より怒りが増大します笑。

上手な怒り方に「相手への怒りを真っ向からぶつけるのではなく、きちんと論じましょう」なんて書いてあっても、怒りが発生している時点冷静さは保証できない

 

感情任せにばーっと言ってしまって、結局双方「あーあ不快」になるやろし、それは分かっていても「あなたのこと、理解してますよ」なんて余裕、そもそもない。

というか、お前ごときになぜ私が余裕もって接さなければならんのじゃ!になるから困ったものです。

 

いや、分かってます。分かってますよ。大人になりきれない私も私です、もちろん。もーわがまま野郎です、私。分かってます、分かってます。

 

でもホント、電車の乗り降りの時に降りる人優先せんで、ガンガン人にぶつかりながら乗り込んでくる人は、後々降りたくもない駅で首ねっこ掴まれた状態で外に放り出されろマジで!って思うし、通り道に広がって、先に進みたい人を考慮せず、ちんたら歩く歩きスマホの人はそのまま奈落の底へ落ちて、首の骨折ってしまえ!って思う時あるし、痴漢とか強姦とか男女問わずそういう性的な犯罪を犯す人は不能になるように生殖器を丁寧に取り除いた挙げ句、自分がやられる側に立って存分に苦しめば良いし、殺人を犯して死刑求刑に感謝する人は、SFみたいに脳だけになっても死ねないような手術が行われて、延々自分にとっての苦痛を味わい続ける刑1億年とか求刑されればいいのに、と思う。

 

負を正に変えたい

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それで現在。

「常に怒っている人」という評価は、名誉あることでは全然ないと思うけど、私のこのめんどくさい感情を怒りそのまま負ではなく、正に変えたいと思った。

 

そんな私にはやっぱり”かく”しか方法がなかった。

 

ブログで怒りを書くということは、匿名性から不特定多数の誰かを傷つけることにはつながるかもしれないけど、誰かに対象を定めてわざわざ傷つけるという行為はしないで済む。

 

人によって怒りの向き合い方は様々だ。できるなら自分も傷つかず、他人も傷つかない方法を探りたい。

 

でもどんなことしたって、誰かに嫌われ、誰かを傷つけることくらいは分かっている。

けれどまた同時に、誰かに好かれ、誰かの傷を癒すこともできているなら、私のやっている「ブログで怒りを書く」も1つ正解だ。

 

怒りは”表現”する。やり場のない怒りを抱えているなら。ねえ、この考え、どうかな。

 

怒りと向き合うには

本当は上記のような話をしたならば、隣人を愛せよ的なことを言うべきなのかもしれないけど、そう簡単に人を許せるほど寛容な人間に私は出来ていない

例えば私は、もし大切な人が誰かに殺されたら、復讐する気満々だ。殺人犯を一番苦しい方法で殺してやろうと妄想する女だ。

 

そんな女だから、可能なら、5年前に私をがんにした”運命”そのものに復讐したい。 

 

でも、それはあまりにも非現実的な話だから、私は”かく”。復讐したい、殺してやりたい、怒りの負の感情をそのままドロドロ吐き出す”だけ”ならいいと思っている。

本当に復讐しなけえば、殺さなければ、実行にうつさなければギリギリOK。要するに妄想くらいならOK。そんなことを思う。

 

怒りを抑えろ、とは思わない

 

吐き出す怒りの方法さえ、自分と他人に合ったものを見つければ、それで良いと思う。怒るな、とは言わない。怒ったっていいんだもの、怒ることだってあるよ、人生。

だから、ね。

では。

 

◆本日の一冊◆

重すぎるけど、好きです。

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