演劇はOK、歌はNGの心理について。そして、カラオケの十八番はあの曲です。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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ちょうど1年前にカラオケに行って以来、カラオケには行っていない。その時も行っただけでマイクは持たなかった気がする。

初カラオケは高校1年生の頃。歌ったことはもちろんあるけど、カラオケの空間がどうも苦手だった。

 

演技ができて、歌えない

ただ自分でも不思議なことに、「人前で何かをする」行為に自信がないわけではない。何と言っても私は元・演劇研究部だ。舞台に立っている。

だから歌えないわけがないとも思うのだけれど、なぜか歌だけは絶対に抵抗してしまう。オーディション内容に歌があった時、ものすごくげんなりした笑。

カラオケ単体がダメか、と問われればまたそれも違くて、可能であれば合唱祭も音楽の授業も「歌を歌う」行為から離れられたら幸せだったと思う。

 

私の中での違い

私の中で、この「演技はOK、歌はNG」の線引きは何となくできている。

 

演劇や歌において皆が注目する部分違いがある。

演劇の場合「私ではない人」として注目が集まり、歌の場合には「私の」歌に集まる。微妙な違いではあるが、「私」の存在の濃淡が、歌に抵抗を感じる理由だと考えている。

 

ミュージカルで役を演じたことはないので実際どうなのか分からないが、「歌を歌う役」を渡されたら、多分大丈夫。「役」であって「私」ではないから

ところが「演じるように歌う」になると、若干不安である。演じるように歌っているのが「私」だからだ。

 

音痴なのかもしれない

+α、この「私」の存在の濃淡の他、素直に歌が下手な可能性もある。

しかし「歌が苦手」ということで「音痴」につながる可能性は十分だが、悲しくも他人からはっきり指摘されたことがないので、本当のところは分からない。自覚もない。

 

ただ分かっている事実としては「別にうまくはない」である。

 

その「別にうまくはない」という中途半端な感じも、「歌が苦手」感を醸し出す原因とも言える。なんせ舞台に立ちたがりだ。「中途半端に目立たない」のが気持ち悪い

 

十八番はコレだ!

が、そんな私にも十八番が存在する。カラオケという特殊な空間において、歌の上手下手関係なく、「カラオケに参加してますよ」アピールを可能にする1曲が!

 

それが

残酷な天使のテーゼ

である。

 

この曲はキーの上下も少なく、歌いやすい。そしてとてもキャッチーだ。アニメに興味がなくても曲がかかれば「ああ、エヴァだな」と刷り込まれるレベルの曲だ。

本気のアニヲタ感が出る楽曲かと問われれば、少し違うと思っている。世の浸透具合が絶妙なため、この曲を歌っただけでエヴァについて熱く語られた経験もない。

「ああ、知ってる知ってる」と人の注目を集めることはできるし、上手下手が左右する曲でもない。歌としてではなく、1つのコミュニケーションツールとして最適な楽曲なのだ。

 

そもそもカラオケって

そもそもカラオケの「自己満足異空間」が大の苦手である。皆で一緒に個室に入った割には、皆が誰かに注目するでもなく、自分の喉と耳を癒すだけである。

人が歌っている時に、次の曲を選ぶのに集中している空間がどうにもこうにも苦手で、私は基本聞き手になる。どうせ誰も「聞いてほしい」など思っていないのだろうが。 

そんなカラオケ抵抗感もあいまって、私はどうせなら「歌う」アクションに「聞く」リアクションをとってほしくて残酷な天使のテーゼ」に手を出したのだ。

 

多分カラオケの楽しみ方自体、間違えているのだと思う。

 

では。

 

◆本日の一冊◆

カラオケじゃないし、歌でもないけど。主人公の勢いが私も欲しかった。 

今週のお題「カラオケの十八番」