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小さな頃を思い返すと、苦々しい。素直に遊び続けていたら、どうなっていたのだろう。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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「何して遊んだ?」というお題に対して、小さな頃を思い返すと、苦々しい。

小さな頃にしてきた遊びと苦い思い出。今でもあの頃の自分を見つめ直し続けている。

 

遊びの記憶

ランドセルを背負ったまま、山の中へ入り、山の中を探検しながら帰ってきた記憶がある。一番遠くまで行った時は地元青梅駅前にある学校から奥多摩方面へ向かって2駅分歩いた記憶がある。

もちろん家は青梅に位置しているから、山の中から日向和田駅まで、日向和田駅から青梅まで歩いて帰ったわけだ。

 

なんとも野生児的な記憶である。

 

遊びの誘いが苦手だった

ただ、私は「遊びましょ」言うのが苦手だった。あの頃は電話をかけて「あそぼー」と言い合っていたのだけれど、それがなかなかできなかった。

あと、幼いながらに人を選んでいたことを覚えている。「この子は遊んでくれるんだけど、私が遊び相手はこの子じゃないよな・・・」みたいな笑。

人の選定に時間がかかり、また断わられるのが怖くて、電話の前で立ち尽くしているうちに母親が帰ってくる時間になることもあった。

 

だから夏休みなどの長期休暇の時には、なかなか人の家に遊びに行けなくて、家で絵を描いたり、シルバニアファミリーを使って物語をつくったりしていた。

 

ものすごく受け身の子供です。

 

大切な友人との遊び

とは言いつつ学校では友人と遊んだ。心身ともに大人になるまで時間がかかった私は、同じように、今で言うADHD発達障害であろう子供達と楽しく遊び続けた。

彼らはすごく親しくしてくれた。例えば私が運動音痴でも、鉄棒を根気づよく教えてくれた。木登りのコツも教えてくれた。

動物を沢山見せてくれたし、山の中から帰って来た思い出にも、彼らが一緒にいる。のびのびと生きる彼らのおかげで見える世界が広がったのは事実だ。

 

女子との壁ができた

逆に、心身の発達の進んだ友達とは、どんどん心が離れていったのを覚えている。こちらの生育が遅れているのだから当たり前だけれど、つらかった。

特に私の性別は女だ。こちらが望まなくても、胸が膨らむので、不快だった。女子達は、協調性によって身を守る術を知っていた。「お揃い」を主張する子もいた。

 

気づくとそれとなくはぶかれていた。

 

もし遊び続けていたら

私は中学校にあがる頃に、「女子」にさりげなく近寄り、自分の姿をカモフラージュした。もちろん隠しきれてはいなかったし、周りの人からは「変」「個性的」と言われた。

 

けれど私の中では

私の中の個性を押し殺した

そういう気分でいっぱいだった。

 

もしカモフラージュせず、「いちいちうるせえな」の精神で山の中をセーラー服で駆け回り続けていたら、どうなっていたのだろう。

周りの普通に疑問を感じた時、それに従うのではなく、疑問を解消しようともがきながら遊び続けていたら、どう変わったのだろう。

 

昔のことを思い出して、苦々しくなった。

では。

 

◆本日の一冊◆ 

今週のお題「何して遊んだ?」

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