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プログラミングも英語も続かない人は、多分向いていないだけ。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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何かを学習することは、何かを継続することであり、その何かを継続してできないのであれば、多分向いていないだけ

 

継続は力なり

ことわざにある「継続は力なり」

今までは「継続しなければ力はつかない、だからがんばれ」的な意味だと捉え、この言葉をモットーに努力を続けることが多かったけれど、実際には少し違う気がしてならない。

「継続は力なり」それは本当だ。でも継続できるか否かは向き不向きにもよるだろうし、好きか嫌いかも大きい。力なり、というのは結果論であって、ただがむしゃらに継続すればいいって問題じゃない

 

私がブログを継続できているのも、頭を悩ませながらライターを続けていられるのも、悪戦苦闘しつつプログラミングや絵の勉強、読書やら継続できているのも、全部好きなことであって、黙々とやることがなんだかんだ向いているのだと思う。

 

逆に料理や手芸はやっぱり続かなかった。

上達させたい欲も、上記に比べたら、ない。

 

好きなら継続できている

私の中で、「継続は力なり」は完全に結果論となったわけで、「好きならとっくのとうに継続できてるでしょ」と言うのが「続かない」と嘆く人への回答になる。

別に「続かない」ということを嘆かれたわけでもないのだけれど、見ず知らずの他人の会話でこのことについて「ん?」と思うことがあったから、ちょっともの申してみたくなった。

 

でも、本当に、

好きなら継続できているはずでしょ。

 

できないなら諦めてしまえ

「できない」「続かない」なら諦めたっていいんじゃないかと思う。向いていないだけなのだから

全てを均等に何でも出来る人なんて滅多にいない。だったらできない人は、自分ができないことをできる人を見つけて、能力を補完し合う方が、仕事も趣味も人との関わりもやりやすいんじゃないのかしら。

 

もし何事も続かないという人が「でも・・・」「だって・・・」という言葉を続けるのであれば、そういう人のことを「できない理由を正当化させたいだけの人」と見なして関わらないようになるだろうな

 

どうしてもやりたいなら

それでも、向いていないと分かっていても、やりたいなら方法を変えてチャレンジすればいいと思う。


このお話も参考になる。

http://toyokeizai.net/articles/-/154925?display=b


例えば英語なら、続かなくて嫌いになるくらいなら勉強方法を替えてみればいいだけだ。

どうしてもTOEICで点をとらなきゃならなかったとしても、机に向かって勉強するのが苦手なら、英会話カフェで話すことで学んだっていいし、好きなジャンルの英論文だけ読んだっていいもの。

プログラミングだってそう。独学が限界になったら、積極的に人に聞けばいいし、人と共に学んでいくとスピードが合わないなら独学で学べば良い。

 

一番もったいないのは、向いていないことを愚直にやってそれを嫌いになることだと思っている。

では。

 

◆本日の一冊◆

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