がん闘病記ではなく、生存後のもがき話を。感動できない話をしよう。

こんにちは、齋藤吐夢です。

 

今年もあと少しで終わりますね。

私は来年26歳になるのですが、25歳を振り返るとどうしても25歳だった1年ではなく20歳~25歳までの5年間と、25年間が思い出されて暗い気分になります

 

悪性リンパ腫になる

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20歳の春。

大学で受けた健康診断。レントゲン検査で異常が出たと大学の保健室から連絡があり、地元の病院、そしてがんを専門に扱う病院へとトントン拍子で進んでいった。病気の名前は悪性リンパ腫。いうなれば血液のがん

再発しやすいけど治りやすい、と言った医者の言葉に、(再発しやすいんじゃあ嬉しくもなんともないけど・・・)と思ったのは事実。若いから治るよ!と励ましてもらったけど、しっかり抗がん剤放射線治療も経験する羽目になった

 

流されるまま治療して

正直あの時はショックで、ただただショックで「生きたい」「死にたくない」みたいな感情はなくて「ああ・・・じゃあ、治さなきゃ・・・」ぼんやりとしか決断できなかった。

私はその病気の直前まで「正社員にはならず働きながら役者やる!」と決めたばかりだったから、治せばまだ大丈夫、叶えられるって思ったんだろうな。

 

ゲロは吐かなかったけど、毎日毎日吐き気とだるさ、それが落ち着くと口内炎、味が分からない、1日19錠のアホみたいに苦い薬を飲んで、血圧を薬で上げて、それが落ち着くとまた抗がん剤・・・の繰り返し。

 

演劇部で役者復帰しようと思ったけど、体力は奪われ気力は奪われ、当たり前だけど周りの人は心配して役者復帰を止めてくれて、でも、それがすごく悔しかった

 

思うようにいかないことを恨むようになった。

 

”普通”になろうと無理をした

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で、そのうち精神的に不安定な状態が続いて。「なんで私ばっかり・・・!」と毎日毎日悩み続けたけど、”普通”になれば何とか社会人としてやっていけるんじゃないかと思って精神科へ行って薬をもらうようになった。

役者や演劇、大好きな世界を切り捨てて”普通”の世界へ飛び込めば何か”病気になった理由”が見つかるんじゃないか!と思った。就活はうまくいった。演劇とはさようなら。

 

でもそれがかえって時々大幅に落ち込む時期に自分を責める要因になってしまった。”普通”になれば・・・という考えが無理矢理で結局自分を苦しめていたことに気づいたのは最近。

何が悔しいって、立ち止まって苦しいと思う度に「あの時がんになっていなければ」と思うこと。こればっかりは誰のせいでもないから、天災みたいなもんだから、すごくすごく悔しい。怒りの矛先がどこにもない

 

あるとしたら、もしかしたら病気の原因をつくった私自身だ。

でも悪性リンパ腫には明確な原因が分かってないみたいで。

 

心が壊れた5年間

結局私は「20歳~25歳までの5年間棒に振ったかもしれん」と思っている。

 

なんだかしょうもない5年を生きてしまった。

せっかく治ったのに。

 

5年間、この表現もおこがましいが、せっかく生き延びたのに私がやってきたのは心を壊すことだけだった。今でも時々自分で自分の精神をボロボロに砕いている時がある。

 

 

でもおかげ様で、来年の1月と3月の検診で異常がなければ、定期検診は1年に1回に減る。要するに再発率50%の壁を突破できたことになる。それは良い節目になると思う。

 

この後どうする?

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だから次の5年は、もう少し図々しく生きてみようと思う。

 

「ざまあ、私の身体と心!」

 

闘病記はもう飽きたんだ頑張って生きて、その後もがき苦しむ姿があることだって知ってほしい

 

命を粗末にするつもりはないけど、がんだった過去にとらわれ続けるのも案外苦しいもんだぜ。

 

親だけでなく、恋人、友人に至る全ての人から「生きろ」と言われていて、しょっちゅう「死にたい」と口にしすぎてとうとうこの間、死ぬのは迷惑かかるからマジ勘弁と両親にマジに言われたので、まあ、生きますけど。

 

でもこれは私の意志で決めた。

 

せっかくなんで残りの5年は再発しようが何だろうが構わん。とりあえず残りの5年で人生終わる覚悟で生きてみようと思った。それでも20歳を引きずるようだったら、また5年後に考えよう。

では。

 

◆本日の一冊◆

ほんと、それ。