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逃げるは恥だが役に立つ、に逆行する結婚の形。結婚したことによる責任の重さを知る。

こんにちは、齋藤吐夢です。

 

『逃げ恥』を観ることができない

観ることができない理由として、素敵なストーリーだとは理解しているのですが、しょせん虚構の世界での「うまくいった男女関係の話」のように見え、モヤモヤする。

 

※結婚について暗い側面の話をします。

 

結論:相手への責任を負えないのが分かっているなら結婚なんてするな。

 

結婚とは何か

結婚する前は、結婚することで社会的に二人の立ち位置が認められることが嬉しいことだと思っていました。私達の交際は「別れない」という前提のもとで始まった交際でした。今現在私はこの前提の重みを結婚してから理解しました

 

結婚したことによってさりげなく世界が変わっていきました。二人でいることのスタンスが変わらないはずが、私は「妻」でなければならなくなったし、彼は「夫」でなければならなくなった。

退職すれば扶養家族となり、税金の徴収に対してのスタンスも変わっていく。家での仕事がアルバイト程度の賃金だからか、「専業主婦」になるのか「兼業主婦」になるのかを迫られている気がして他の家族との関わりが恐怖に変わっていきました

結婚は、2人の世界でありながら、接点のなかった者同士が一気にばっと家族になることでもありました。

 

私は「2人の世界の話だけで済む」と思い込んでいたのです

 

責任の重さを知る

昨日、私は「結婚し、子供を産む」という一連の流れに恐怖していることを夫に伝えました。かつて私は夫との子供を望み、それこそ出産できる適齢期を過ぎて無理矢理産むよりは早いうちに産もうなんて計画をしていました。

ですが結婚してからというもの、常に「仕事」か「子供」についての話が、広がった家族から出されることに疲れてしまいました。情けないことですが、責任の重さに気づくのが遅すぎた。責任の重さから逃げられると思い込んでいた。

結婚は簡単に「別れられる」ものではないのです。結婚は2人とそれ以外の大多数を巻き込んだ契約なのだから。

 

契約結婚の合理性

逃げるは恥だが役に立つ、では家事代行として家における必要な仕事をやることで給料をもらえる社員として「妻」雇用主として「夫」という契約を結ぶわけです。私としてはこれ1つ合理的だな、と思うのです。

雇用主と社員としての関係になれるほど、家事は実際に仕事として成り立ちます。そして雇用主と社員という関係なら、「切る・切られる」のもまた納得できる立ち位置な気がします。職場を変えたっていい。

 

夫婦という肩書

私は肩書を気にしすぎなのかもしれません

夫である彼と、妻である私。ただ一緒に暮らしているだけでなんかさみしくないなあ、くらいを求めていたのは私ばかりで、夫と妻という肩書に恐怖を抱くのは私ばかりで。

子供を設けない夫婦がいても、年末年始にバラバラに帰る夫婦がいても、休日は別行動の夫婦がいても、それでいいじゃないか。と思っていたのは私ばかりで、私が上記のようなことを提案したら「夫婦だからこそ一緒に」と言われました。

夫婦は必ず一緒に行動しなければならないのでしょうか。

結局自分のことしか考えられない自分が本当に悔しい。

 

結婚とは何か

結婚したことによる責任の重さを知りました。相手の人生を半分背負っているようなものです。私が容易に切り捨てることのできない問題です。そしてまためんどくさいことに私は”彼自身”を好きなのです。

 

だけど結婚ってなに?夫婦ってなに?

 

基準なんてものがありそうでないこの関係戸惑いを感じています。男女でいることと、同居人でいることと、夫婦でいることの違いに納得できなくなってしまった。

 

逃げるが恥だが役に立つ、の世界から逆行している夫婦の話でした。

では。

 

◆本日の一冊◆

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