生きづらい世の中で生き残るためには、自分の軸と取捨選択を大事にしようと思った。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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先週参加した大原扁理さん×phaさん×鶴見済さんのトークショー『幸せの自給自足』の記事をTwitterにて拡散いただき、誠にありがとうございます。けれど、これほどまでに拡散されるということは、それほどまでに今の時代って生きづらいってことなんだろうな。

 

 ▼過去記事

【忘備録】『幸せの時給自足』phaさん×大原扁理さん×鶴見済さんのトークショーへ行って感じたこと - 真面目でなぜ悪い

 

生きづらさってなんなのか

そもそもなんでこんなにも生きづらさを感じなければならないんだろう、大多数の人が。そう思いました。それはトークショーを聞いているなかでも、友人とお話しをするなかでも、報道を目にする時でも、そう。

 

同じでなければならないのが、つらい

私が人生においてはじめて生きづらいなと感じたのは小学校3年生の時で、決していじめられていたわけでもありませんが、全員が全員、一斉にまわれ右“しなければならない”空気感覚的に苦手だと感じていました。

そんな風に苦手意識を抱いたので、小学校三年生の時、同級生に囲まれて遊んだ記憶はなく、なぜか省かれもののように扱われていた他の2人と遊ぶ日々でした。

 

なぜ皆同じでなければならないのか

 

その疑問は小3以降もずっと続きました。高校は私の中で確固たる目的があったので受験が苦しくありませんでしたが、大学進学はつらかったです。正直受けたい大学がなかったのですから。でも“将来のために”受験勉強受けました。

 

周りの常識が普通ではなく規則なのが、つらい

また結婚してからというもの、荒れたブログを数回更新しておりますが笑、結婚したら当然次は子供よね!という空気も非常につらいです。産みたいのか産みたくないのかは私だってはっきりしてませんが、話にのせられたまま子供を産み落とすのだけは恐怖です。

それでもまだ結婚に至る過程においては、柔軟さが出てきたようにも思えますが、離婚した人のことをバツ1、バツ2みたいな表現も正直やめてほしい。別に離婚したっていいじゃない。離婚は悪なの?だったら最初から結婚なんて制度ないほうがよくない??

 

周りの常識が、この国ではまるで規則のような扱われ方をしているので本当に居心地が悪いのです。「だって普通じゃない」「そうやるのが普通でしょ」でも、そもそも普通の定義ってなんなのよ。国が決めるの?そんなもんじゃないでしょ。

 

大事にすべきことはざっくり2つ

だから、私がそんな生きづらさを打破する必要に気づき、行動し始めることにしたとき、決めた大事にすべきことが2つあります。

 

自分の軸を大切にする

がどうしたいか、をはっきりする

 

ということです。私、から入ったって全然問題ないんですよ。“確かに自己肯定力が高すぎても、ナルシストになるだけ”という記事もあるくらい、私が強すぎても問題にはなりますが笑。でも今生きづらさを感じている人“私”の存在をおざなりにしていると思う

私の身近にいる人間の一人、旦那さんはちょっとナルシストよりの“私”を持っているので、確かに私の感情とのぶつかり合いは厄介ものですが笑、彼は自分が生きづらいだなんて一度も思ったことがないと言っていました。

 

「僕がよければいい」

 

まあ、大層都合のいいセリフだな!と我、怒れりになることもしばしばですが笑、こういうことの言える人間こそが、生きづらさなんて微塵も感じることのない見本なんです。むかつく、むかつかないの観点からでなく見習うべき台詞です。

 

がどうしたいのか

 

そこがしっかりしていない限りは、いつまでたっても現状に不満を抱く生きづらい人になってしまいます。どうにかしたいのであれば、まずは自分から始めよう。

自分から動きださなければ。

 

取捨選択は自分でする

上記に近いものですが、その“私”という軸をしっかり持ったうえで、しっかりと取捨選択をしていきます。何も身も心もミニマリストになるほどまっさらに何もかも捨ててしまえ、とは言いませんが、「これは私にとって本当に必要かどうか」きちんと把握すべきです。

 

私の場合は友人関係がそれでした。

事実、小中と密に関わり合う友人は本当に片手に収まるほど。高校になるとぐっと増えますが、それでも20人いかないくらい。大学もそう。だから正直に告白しますと、フェイスブックやアドレス帳に入っている友人の数はその20人いかないくらいしかいない。

知り合い、顔見知りは全部・・・言葉は悪いですが捨てました。だってきっと久しぶりに会ったところで私が会話できない。そんな苦しい沈黙なら、知っている人だからこそ話さなくていい沈黙の時間を大事にしたい

 

時折むかつく夫の言葉も、話半分で聞く能力を得ましたし笑。そもそも離れている時の方がその人の良さが分かります。あの人、面白いもんな~って。

 

聞いても良い言葉、聞かなくても良い言葉をより分けるのも一つ生きづらさを打破するのには必要です。

 

その結果が“逃げ”でもいいじゃん

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例えば、私は結局収入もまあまあよく、残業も少ない、会社の人から見れば最高の部署をたった1年半で辞めたわけですが、それは傍から見れば「メンタル弱い女が逃げた」という話になるのでしょう。

 

でも、それでいいじゃん。って思うのです。

 

だって“私”の軸がそれを選択したのだから。かつ、「逃げた」という人の言葉は選び取らない、摘み取らない。だって私にとっては不要だから。これでいいと思うのです。

 

やりたくねえなあ~と言いつつ、仕事を続けていくうちに感覚が麻痺していって、私が言われてきた嫌な言葉を後輩に吐きたくなかっただけなんです。

正直全然今やっている仕事は収入少ないですよ。いつ首切られるかもわからないような仕事で。でも、ずっと関連文書を読み漁って知識を吸収したり、パソコンにむかって黙々と文字を打ち続けるのは快感に等しいし、なんてったって楽しい

自分で仕事を見つけ出す行為すら楽しいし、できない日には諦めて気分転換するようになったらむしろできる日の作業スピードがあがることも知れた。

 

大事なのは“自分”でいいじゃん

そんな生活を送っていたら、自分がどういうことが好きで、どういうことが許せないのかがはっきりしてきて、すごく心地いいんですよ、毎日が

 

私は自分のスペースが得られると、その巣を必死に守るタイプの人間でした笑。自分のスペース内なら何やってもいい分、自分の作業を乱されるのが本当に嫌だということも分かって、電話もラインも自分の集中が切れるまでは無視の日々です笑。

予めたてておいた予定が崩れると、てんで何もできないという欠点もありますが、自宅で仕事する人の中では割とスケジュールに厳しいタイプな気がするので性に合ってることが分かりました。

 

だから“自分”を大切にして結果的に良かったんだな、って。

 

生きづらい人が少しでも生きやすくなりますように

 

では。

 

◆本日の一冊◆

 安直かもしれないけど、別に幸せになったっていいじゃん。