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働くことについて考える。副業も複業も在宅ワーカーもフリーターも「働く」人だよ。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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働く意味に戸惑うことってありませんか?

働くことをやめることに対しての恐怖はあります。だって働いた対価としてお金がもらえなかったら生活しづらい環境ですから。

でも、生活のために働いているのに、自分が望んでいる生活を送れているだろうか・・・と疑問に思うと、働く手は止まるものです

 

※私の愚痴も含まれております。ですが、どうか最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

働くってなんだろう

最小単位の「働く」は昔ながらの自給自足生活なんじゃないか、と思っています。自分一人、今日一日を生き抜くために働くってことです。

それ以外に最低限以外のものを欲すとなると、もっとバリバリ働いて、対価を得て、自分が欲しい、欲望に従ったものをその対価で得る、の繰り返しになるかと思います。

 

働く理由がぼやけている?

例えば、その繰り返しをしているうちに、対価としてのお金ばかりが先行して、お金はしっかり貯まっているし、給料もいいのに、毎日充実した日々を送った感じがしない、と嘆く大人がいます。

同じような条件で、毎日?幸せだよ!と本気の笑顔で返してくる働きづめの大人もいます。

 

分かり切ったことですが、この差は働く理由にあるのでしょう。

前者が後者と同じ条件にも関わらず、充足感を感じることができず、苦しみながら生きるのは働く理由がぼやけてしまっているからでしょう。

 

そうなったら心身をぶっ壊す前に働く理由を何度でも練り直すべきでしょう。

 

理由が明確ならトータルが少なくても充実

その逆で、まさしく今の私だったりするのですが、対価が雇用形態によって安定せず、1年のトータル金額ががくんと下がっている人もいます。でも、例えばそのことを嘆いている人もいれば、私みたいに働く理由が明確だから額は気にならないという人もいます。

もちろん私は人に頼りまくりで、誰かの支えがあってこそ毎日充実して過ごすことができていますが、自分の働いた分の給料の低さに嘆くことはありません好きなことをさせてもらっているからね

 

そうなってくると益々働くってなんだろう、って湧いてくるんです。

なぜか。

 

副業も複業も在宅ワーカーもフリーターも

全員働いているのに。

 

全員毎日懸命に働いて、皆それぞれ理由も異なりながら働いているのに、なぜ「正社員」という肩書がつかないと、ほんのり見下されてしまうのでしょうか

社会的に認められることばかりが全てなのでしょうか。私ももちろんはじめっから今の仕事についたわけではないので、かつて働いていた時の貯金など蓄えがあり、生活で間に合っていないお金は貯金を切り崩しながら生活しています。

 

その切り崩している姿が惨めにうつるのでしょうか。

私のやっている仕事は、信頼が大切なお仕事で、それこそ今話題にあがっているキュレーションサイトの記事の一件があったからこそ余計「いいライター」だけが生き残り、「どうでもいい人」は生き残れない厳しい、というか正しい世界になりました。

そんな中でどうしたら信頼のおける丁寧な文章を書いていけるだろうかと考え、愚直にWEB文章を実践しながら、フィードバックやご指摘をいただいて、頑張っているさなか、「仕事」として認められなかったことに傷ついたのです

 

肩書によって軽視しないでくれ

いささか小さな言葉に傷つきやすい私の悪い癖も要因ではあります。

でも誰もがしっかり働いている

 

働く理由は人それぞれで、もし仮にその日暮らししている人が目の前にいたとしても、その人自体を責めることはできないと思うのです。だってその人の働く理由とそれを指摘したがる人の働く理由は違うわけじゃないですか

私は精神的に追いやられ、自分に合った仕事を・・・と探しだしたのが、この在宅ライターの仕事であり、自分のメディアであるブログであり、自分のライフワークとしたい小説なわけです。

それをまるで「社会からはみ出てしまったのだね、かわいそうに」という哀れみの目線で話されたくないのです。

 

なぜ私の幸せをあなたが決めるのか

 

働くことについて考える

私は今文章を書くことで、お金がもらえています。それは微々たる金額ではありますが、私にしかできない仕事でもあります。それは立派な「働く」ではないのでしょうか。

 

「働く」ことすら悪く見られるの?

では。

 

◆本日の一冊◆

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