家を持ちたくない。本当に大切なものを見極めて、賃貸を転々としたい。

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こんにちは、齋藤吐夢です。

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自分の持ち物の多さにげんなりしてしまいました笑。自分にとって何が一番大事かを見極めなければ自由に住空間を行き来することができないなあ、と思いました。

 

どこかへふらっと出かけたい人間なので、持ち家思想はありません。

 

家を持つという恐怖

私が家を持つことへ恐怖を抱く理由は以下の通りです。

  • 資産をもつことへの責任の重さ
  • 拠点が定まってしまう
  • それが理想と押し付けられること

どうしてそのような恐怖を抱くようになったのか。

一軒家が嬉しかった時期

私の両親は、私が小学校高学年の時に今まで住んでいたところから徒歩5分圏内のところに一戸建てをたてました。私は、一軒家でこれから暮らすんだ!と知った時、とても嬉しかったです。

 

でもそれは私がまだ親のもとで暮らし、大好きな地元にしか目的地(学校)がなかったからです

 

まず実家暮らしから逃れたくなった

大学に入ると距離の遠さと、家族の干渉がうっとおしくなってしまいました。遠くから通う実家暮らしからは距離の近さ(青梅から学校まで2時間程度)を羨ましがられましたが、私は両親の干渉が疎ましかったのです

 

実家という存在は、まずはじめに家族の存在を示し、その家族による束縛感が家への恐怖心を抱かせました。

 

一人や二人暮らしを経て

一人暮らしや二人暮らしを経て、持ち家ではなく、借り家で十分足りてしまうことを知ってしまいました。家を持てば、確かにそれは資産になるけれども、その分その資産に縛られることにもなる。

私は借りたスペースをいかに汚すことなく綺麗に見せるかにこだわり、部屋をつくります。だから部屋を借りることに抵抗がありません

 

何らかの事情で出て行くことになったらそれはそういう運命だったと受け入れて次の住居へ行きたい。

 

居つくより遊牧民のように生きたい

確かに居心地のいい場所というのは存在します。私にとってはそれが地元の青梅市だったり、長野県の静かな山奥だったり、上野や浅草の懐かしくにぎやかな感じがそれですが、どれも均等に味わいたい。だから家を持つということは恐怖になります。

 

大きな資産を手に入れるということ自身も怖いし、資産に縛られてしまうのも怖い。そこを拠点に行動するのではなく、拠点を自由自在に行き来できる生き方がしたい

 

最早私が子供の頃に、大人だった人の描いていた、配偶者を持ち、子供を持ち、夢のマイホームを持つ、という夢は私にとっては悪夢でしかない。それ自体がまた悲しい事実でもあります。

 

身軽になることを目指して

遊牧するように生きるためには、身軽にならなければなりません。とはいえ、私にとって本やぬいぐるみは大切なものですから、パッと捨てることはできません。だからこそ優先順位を決めて大切なものを守りぬきたい欲があります。

自分のものが軽自動車一台に詰め込まないと入らないという量は、私にとっては絶望でした。全然身軽じゃない。

 

どれだけそぎ落とせるか。

生活の一番初めはそぎ落としから入ります。

 

本当に大切なものを自分で理解していますか?

私が意地でも手放したくないものは、何度でも読み返したくなる本、ぬいぐるみ、フィルムカメラ。洋服や靴にはそれほど執着がなくなりました。化粧は普段ほとんどしていません。

だから、本当に大切なもの以外は、誰かのために譲るか売るか、お礼を言いながらゴミ袋に入れるかするでしょう。

 

いつかはリュックサックに入るだけの荷物を持って、四国へお遍路の旅に出たい。一番身軽な状態で私は歩きまわり新しい出来事に出会うことを優先したい

 

もう物に疲れました。

 

持ち家から抗うことに決めた

時々、家を買う、買わないの会話に参加することがありますが、私自身は持ち家思想でないことをここで明確に示そうと思います。家庭をもつ、子供を授かり、夢のマイホームで暮らすことが、心の負担にならない世界になるまでは、家を持ちたくない

では。

 

◆本日の一冊◆