読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私は本当に子供が欲しいんだろうか。性と妊娠について今思う事全て。

こんにちは、齋藤吐夢です。

f:id:tomu_saito:20161104155309p:plain

本当に子供が欲しいんだろうか。

今日、私は働く女性の記事やニュースを目にしては、現実世界の平日の昼下がり、愛おしそうに我が子を抱く母親を連続で眺めると、私は果たして本当に子供が欲しいんだろうか、という疑問に苛まれる。

というのも、私自身が心の底から我が子が欲しいと思っているのか理解できないからだ。理解できない・・・というのは嘘、かもしれないけど、とにもかくにも「妊娠したいの?」と聞かれたら答えは「うん」なんだけど、「子供が欲しいの?」の答えは無言になる気がする。

 

妊娠できる女性の体

私は女性に生まれて、25年間女性として生きてきて、生物的に仕組まれた性の通りに男性を好きになって生きてきた。交際してきた人は数名。それ相応に愛し愛され、振り振られ、異性との交際を純粋に楽しんできたのも事実だ。

ただ実は未だに、秘かに、自分の性に疑問を抱いているのも事実だ

女性としても男性としてもはっきりと分かれていない性の境界に自分は立っていると思う。最近少し納得のいった表現が「体は女で、心は男性のゲイ」という表現だった。

欧米諸国のフェイスブックだと性別の欄が50も分かれていると聞いて、それならこのもやもやとした性についての感情も解決できるかもな、と思っている。それくらい自分自身の性に疑問はつねづね抱いている。

でも体はしっかりと女性だし、今まで女性として納得して生きてきたのも事実だから、せっかく子を宿すことのできる生殖器官をもった生き物なんだ。私だって妊娠してみたい

で、冒頭の、タイトルの気持ちになるんだ。

それって本当に子供欲しいって言えるの?

 

母性本能の言いなりになれる?

私がとにかく不安なのは、「女性の体(しかも今のところ健康だということが分かっている)を持っているのだから妊娠したい」という想いだけで妊娠し出産した場合、きちんと我が子を“我が子として”かわいがることができるのだろうか、という疑問だ。

 

母性本能の言いなりに私はなれるだろうか。

 

私は子供を産むことについて興味はあるのだけれど、人間の女性的な感情以上に、動物としての興味が勝っている気がして、それは子供を産むに値する女性の発言なのだろうか、と自分自身を責めたてている。

愛おしい、と思わなきゃならないんじゃないかと思って怯えている

遺伝子同士が合わさって、一つの命ができて、生まれ出てきた瞬間から一個人として扱われるわけだけれど、私が我が子を興味本位で育てるんじゃないかと思うと怖い。それが合っているのか間違っているのか分からないから。

 

倫理的に正しい感情ではないような気がしてならないから。

 

可能なら二人に分かれたい

それだけじゃない。

私は可能なら二人に分かれたい、と常々思う。私は私個人が自由に活動し、気ままに過ごす遊牧民のような人生と、家族を想い慈しみの心を持った家庭を大事にする人生を両方望んでいる。

でも正直今のところそれは両極端すぎて、同時にやるのはきつい気がする。私が大好きで崇拝している著者の方は大抵異性との交際をしていない男性が多い。私のような女性がこの世に存在しているのなら、本当にお会いしたい。

二人に分かれた私は頭の奥ではつながっていて、両方が両方のしていることに満足できるようになっている。そんな妄想を繰り返す日々。

ネガティブなことが心を覆う度に、私の頭はこんなことを思うのでした。

では。

 

◆本日の一冊◆

 

 

こういう時にこれを読むと少し立ち直る。

スポンサーリンク