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何の取り柄もない普通の人間。でも、自分から動けばいいだけの話。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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憧れの人がたくさんいる

私にとって憧れる人というのは、会社を辞めてブログであっという間に会社での給料超えちゃった人とか、クラウドソーシングで月何十万円稼げることを紹介した人とか、世界を旅しながら情報発信し続ける人かつ、笑顔の人

もちろん会社に勤めていて、「仕事?超楽しいよ!」と言っている諸先輩方や、「俺が会社を変えてやる!」って言うかっこいいお兄さんだったり、「大変だと思うけど一緒に頑張ろう」と言ってくれた上司も本当に憧れの存在だった。

彼らも笑顔が素敵だった

 

わたしは何の取り柄もなかった

でも、わたしってそんな人達に憧れる“だけ”で超“普通”だな・・・って思ってずっと自己嫌悪に陥っていた。できることと言えば、恨みつらみを吐くことだけ。逃げることだけ。悔しさを我慢するだけ。怒ることだけ。負の感情ばっかり笑顔はない

嫌になって、頑張りすぎて、体調を崩して、なんか喋っただけで涙がボロボロに出てきて、それ以降基本的にずっと家にひきこもっているけど、時々外へ出れば新鮮な空気と一緒に憧れの人達の姿が目に入ってきて、また鬱々とする。

その繰り返しで、わたしは、本当に何の取り柄もない“普通”の人間だと再認識した

 

でも考え方は変えられる

でも憧れている人に実際会ってみたら、

憧れている場所に行ってみたら、

考え方が変わった

憧れの人や空間に自分から飛び込んでみたら、それこそ皆“普通”の人だった

楽しいことを純粋にやり続けているだけだった嫌なことが限界に達する前に逃げたっていいじゃん、って教えてくれた。

そうしたら、わたしの超“普通”は「それがなに?」って思えるくらいちっぽけなコンプレックスだったって気づいた

 

普通も変も同じこと

憧れの人に憧れ続けていたって何も変わらないと知った。

 

自分から動かなければ!

 

そんな時、ふと思う。この世は不思議な世界だとつくづく思う。“皆一緒”を大切にする受動的な教育から、突然能動的な社会へと押し出され、“皆一緒”を乱せば叩かれ、“皆一緒”を貫けば「つまらない」とたたかれるんだ

でも、それがなに?

そう思うくらいじゃないと、もう全然何もできなくなっちゃう。「死ね」に等しい言葉や行動がそこらじゅうにちりばめられているのに、本当に死んじゃうと「情けない」で片づけられることがしばしばある。悲しすぎる。

でも、負の感情を抱えてでも自分から行動しなくちゃ変わらない!

世界を終わらすのは簡単だ、といって自殺する人の映画があった。自分で死ぬ勇気がなくて、何度も何度も世界を恨んだけど、自分が変わるだけであっという間に世界が変わることを知った。

 

何の取り柄もない普通の人間だからこそ

私にできることは書くことだけだ。

”普通”なわたしのブログは、“普通”の人に向けてこう書いてやる。

 

他人をうらやむな、自分だけ信じろ。

 

憧れの人達のやっていることを羨んだって、私は彼らじゃない

だったら、私なりのやり方で切り開くしかないのだもの。

彼らのアドバイスはしょせん“アドバイス”でしかないことをなんで皆忘れちゃうんだろう。やるか、やらないかだけで人生は決まる。超“普通”を選んだのは私自身だ

超“普通”を選んだのは、紛れもなくあなただ。そうでしょう?

文句言ってないで、やり始めようよ。

では。

 

◆本日の一冊◆

 変わりたい、から、変わるへ

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