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演劇ってなぜ敬遠されがちなのだろう。元演劇研究部の考察と今後の展望。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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演劇大好きでした。

私は演劇が本当に大好きでした。

演じることが本当に大好きでした。

舞台の上に立ち、スポットライトを浴び、私ではない誰かとしてそこに存在する時間が確かに好きだったんです。

演劇研究部に所属し、他大学の演劇部に参加してみたり、オーディションを受けてみたり、劇団の芝居に出演させてもらったこともありました。

演劇というものから離れて、もう4年が経ちます。

あの頃の情熱は、悲しくも一切ありません

 

演劇は敬遠されやすい芸術?

映画のように、気軽に足を運んでもらえない性質を持つ演劇。

もちろん映画を全く観ないという人もこの世には存在しますが、それ以上に演劇は「週末映画行こうぜ」「ゲーセン行こうぜ」「遊園地行こうぜ」のノリにはなりません。

なぜここまで演劇は敬遠されてしまうのか考えてみました。

 

”目の前”の出来事にひいてしまう

演劇は“生もの”だという言葉を聞きます。

映画とは違い、目の前で物語が繰り広げられます

また映画との違いとして、編集作業を介することがないのも一つ魅力でもあり、難しいところでもあります。編集することができず、本番は上演時間という時間の流れの中で話を進める必要があります。

そのような制約の中で、分かりやすく物語を伝えるために、演劇では役者がオーバーなアクションをすることが多々あります。ないしは、突然ダンスが始まることもあります。

 

※リアルを追求し、演技をとことん現実に忠実に再現する劇団もありますが、ここでは言及しません。

 

物語を伝えるために暗転が加わることもあるし、場面転換が目の前で行われることだってあります。役者が入違った瞬間に過去にさかのぼるような演出もあります。

 

しかし、それがかえって現実を思い起こさせ演劇を観慣れていない人がひいてしまうのではないかと考えます。

 

映画ならば、目の前に映し出される”映像”ということで、虚構の世界の物語を受け入れやすいはずです。しかし演劇は生の時間に生の人間が生の演出だけで虚構を表現します。

その光景に違和感を感じてしまうのかもしれません。

目の前の人間は確かに“目の前”にいるのに、あたかも“目の前いないようにふるまうその光景が、奇妙であり滑稽であり、気持ち悪いのではないでしょうか

 

収益を感じない

演劇をしている人の中には利益を最優先して、公演を行っているわけではない人がいるのも重々承知です。ですが、赤字をしてまで伝えたいことが客に伝わっていないのであれば演劇があまり魅力的な芸術には思えません

 

お芝居をしていた時、「オナニー芝居をするな」と言われたことがあります。

要するに自分だけが気持ちいい芝居をするな、という意味です。役に没頭し、心地よくなっているのはお前だけで、客には何にも感じてもらえない、そんな芝居はするな!という言葉です。

 

最近観た芝居は、私は個人的には大好きなのですが、それは自分がある程度演劇が好きだからであって、演劇を観ない人には絶対に受け入れられないだろうなと思いました。

恐らく公演にかかった費用を一切取り返せていないはずです。凝りに凝ったセット、手作りの衣装、複雑怪奇でユニークな脚本。でも空席が目立ちました

その劇団は「それでもいいから、伝えたいことをやっている」側だと思いますが、

私としてはその姿勢が『演劇』そのものの首を絞めているように思えてならないのです

 

それでも演劇にかかわりたい

「利益なんて求めないから演劇なんじゃないの?」

私が言われた言葉です。

かつて演劇が大好きで体を壊すほどに熱中した時期の私なら、自信満々にそう答えていたことでしょう。

でも今は違う

どうせだったら、利益も求めたお芝居をしたい

せめて公演準備費用を取り返す劇団がいい。

もっと言えば終演代の軽い乾杯くらいはできるような劇団がいい。

 

お芝居が大好きだったけれど、事情があって芝居から離れました。

今の私が芝居を少し嫌いになってしまったからこそ、

できる仕事がしたいのです。

 

今後の展望

友人の劇団に裏方として参加する。

では。

 

◆本日の一冊◆

 

 演劇に恩返しがしたい。

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