考え方を変える。自分に起きたことは必然なんじゃないかと考えると意味が生じる。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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今日の出来事

この話を書こうと思ったのは、今日の出来事にある。

今日の私は割と調子がいい方だと思ったので、調子が悪い時に溜めてしまった案件をまとめてやってしまおうとカフェへ向かい、いざ!とパソコンを開いた時にあった。

パソコンがプログラムの更新のために、なかなか開かないのだ。

1%から10%になるのに5分以上かかっていた。私の気分としては、パソコンを開きさっと作業を始めたかったので、少し滅入ってしまった。とりあえず電子機器を使用する作業休憩用に用意していた本を読み始める。

本を1ページ読み進めたところでちらと目を見やると11%と出ている。しまった、これはものすごく時間のかかる更新になるな。私がやろうとしていたことは朝早くから集中して作業を進めることだった。

家の片づけを終え、8時台から作業をするとスピーディーにことを進めることができるのは私自身よく知っていた。だからこそ、さっさと家のことを終わらして、太陽が照りだしている中、勇気をだして外へ出たというのに・・・。

 

気休めかもしれないけれど

正直、このタイトルについた「考え方を変える」ことをしなければ、気分が悪くなり作業をし始めるのを放棄した可能性だってある。気分に振り回されている今の私には、この時間のかかる更新作業は、かなり酷な状態であると思っているからだ。

でも11%の表示を見た後、読書に戻ったときにこう思った。

「これは必然なのだ」

これは人によってはただの気休めじゃないか!と思うかもしれない。言う通りただの気休めだろう、言い方次第でどうにでもなる話だ。でもこのパソコンの更新作業ですぐにやりたいことに取りかかれないのも必然だと考えることにした。

その代わり、読書を楽しむ時間としてこの時間を使えばいいじゃないか。

ただそれだけだ。

私は小学校の頃から繰り返し読んでいる愛読書の『深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)』の続きを読み始めた。

外では電車の到着に合わせて、人がどっと降りてきてはせかせかと急ぎ足で会社へ向かう光景が広がっている。時々また目を見やると、電車の来ていない時間帯には本当に全く誰も歩いておらず、整えられた植樹の脇で携帯をいじりながら誰かを待っているような人が数人いるだけだ。

本を読めば、たちまち頭の中は行ったことがないが、リアルに近いはずの香港やマカオの風景が広がり、時代が違い、今以上に安い物価の中、博奕に挑戦する沢木耕太郎さんの姿が目の前にある。

”多分この情景の頭に浮かべるべきだったのだ”と考えることにしたのだ。

パソコンがなかなか立ち上がらないという現状にカリカリしかけたのも必然、それをあきらめてすっと読書に身を投じたのを必然なんだと考えた。私には、多分今”その時間”が必要だったと考えた。

読書をしていたら、頭の周りがゆるまるような感じがした。慢性的に感じていたストレスがゆるまったと思うことにした。実際私が今感じている症状は、悲しくも勤めていた会社の人に出会いたくない、出会ってしまいたくないと考えれば考えるほど気分が悪くなるといったものだ。情けない症状だと思いつつ、私は本当に今、知り合いに会いたくないのだとも思っている。

だから、その時に感じたストレスを緩めようと自分自身に課せられた”必然”と思ったのだ。

 

結果論でもいいじゃない

これは結果論の話でもある。

「結果的にこうだと思いました」という、ただそれだけの話である。

これは、自己啓発本や自叙伝についても言えることかもしれない。この人はただ運が良かっただけ、結果的に良いことが起きたから、その過程を本に書いて出版したのだ。

そう思うのも無理はないし、そう思ってそのように成功した人に対して批判したくなる気持ちがないわけでもない。それ相応に嫉妬だってするし、うらやむ気持ちはある。なんで私はうまくいかなくて、なんであの人はうまくいくんだ・・・とやきもきしないなんて言ったらウソになる。

でも結果論でもいいじゃない。

最終的に自分に起きたこと、自分で判断したことがあって今があるのは当たり前のことなんだから、結果論だ!といって批判している人を見かけると同調もするし、そりゃそうじゃない、と冷たく思うこともある。

これは”必然”だったんだ、と思い、本を楽しんだ1時間でした。

そう、プログラムの更新には結果的に1時間かかった。

でもそこでイライラして、無駄に自分の気分を害するくらいなら、1時間も読書ができた、嬉しい!と思った方が気分は良いと思うんだ。

私の頭の中には、半々の思いがあって、やっぱり1時間やりたいことができなかったなと軽い憤怒がないわけでもないけど、読書時間をつくることができて、気分が良かったという結果論で考えて気分が良かった思いもある。

重視したいのは、読書する時間としてうまく時間を使えました、という結果論の方だ。

人間関係で消耗しきった自分を、自分で傷つける必要はないから。

 

結局自分の考え方次第だから

この考え方を強要するつもりはないけれど、こういう小さな何とも言えない不運を考え方を変えることで、「ま、いっか」と思えるところまで持ってこれるのは、自分の考え方次第だと思う。どっちがいいか、って考えたときに、自分から苦痛な考え方に持っていこうとはなかなか思えないと思う。

瞬間的に不運の見方を変えることはできないかもしれないけれど、必要以上に自分を責めたりする必要はないと思う。

過去に戻りたいとは思えないけど、もし戻ることになったら、責める必要のないことまで自分を責めている自分に言いたいな。

 

必然なんじゃないか、って絶対に思い込め!とは言わないけど、

これも意味があるのかも、って思って行動すると、

何か変わるかもしれないね。

 

◆本日の一冊◆

 

 宗教としての仏教ではなく、仏教の教えをゆるく書いたような作品。

ブタの絵のゆるさと、なんとなく心を緩めてくれる言葉が詰まっていて、なんだかんだいってこれもずっと読んでます笑。