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「嫌い」ってパワフルだよね。負の感情について私の思うこと。前向きに「嫌われる」。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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出典:http://any-stress.com/archives/16794

この写真みたいに、一発喰らわしてやればよかった、なんて人めっちゃいます笑。

世の中には、絶対に相容れない種類の人間ってのはいて、それはまあ人それぞれなんだけれども、できる限り関わりたくないよね。でも、大体そういう時に限って身近に存在してたり、出くわしちゃったりするわけで。「嫌う」ってなんなんだろうね。

 

「嫌い」は必ず存在する

できる限り人を嫌わないようにしよう、という努力はしてます。でも正直言うと「嫌い」は存在する。世の中に絶対存在する。もっと大きく言えば、悪とか負の感情は絶対に存在する。それがなくなることなんて絶対にないんだと思う。

私の夫は「好き嫌いが存在するなんてかっこ悪い」なんてことを得意げに語るけど、時々思いっきり「嫌い」って発言しているから(無意識らしいし、指摘すると怒る)嫌いって感情は捨てきれない、という見本として彼を見てたりする。

私のことを嫌う人間がいたことも知っていたし、私だってそんな風に思われたら傷つくし、嫌いになる。負の連鎖って嫌だなあと思いつつも、しっかり連鎖に溶け込んでいたから、それがまた嫌になる。の繰り返しでなんだかなあと思う。

でもまあ、世の中には面白いほど「嫌い」しか存在していない人間もいて、それって結構面白いことだな、とも思う。俗にいう炎上が大好きな人とかがそれかな。時々ものすごく人をけなしている人がいる。驚くほどにけちょんけちょんにけなされている人を見るとこっちまで傷ついてしまうけど、その大抵は批判というよりは本当にその人自身を生理的に嫌っているから攻撃しているだけのことがあって、ああ、不毛。と思う。

 

負のパワーってすごいよね。

本来私は「好き」を探すのが好きです。「嫌う」行為より「好き」の方が自分のためにもなるよなって思う。自分は自分自身で面白いなって思った情報をひっぱって読むのが好きなので、SNS上で繰り広げられる賛成派、反対派の意見を偏りなく確認するのが好きだったりする。

ブログを始めた時、やっぱり一番初めに読み始めたのは、プロブロガーの肩書を持った人達のブログだったわけだけれど、それと同時にその人達をこてんぱんに攻撃する人の文章も読み始めた。その中にはまっとうな批判もあったけれども、ものすごく単純に「こいつ、いけ好かねえ奴だな」ってな具合に攻撃している文章もあった。

ただの文章なのに、すごいなって思ったのは、ただの文章にも関わらずその人が心底相手のことを嫌いだというのが伝わってくることだった。負のパワーは時として正のパワーより力強いことがある。

検索すると、その人を批判、攻撃する文章のほうが上にきていたりして、そうするとそのパワーに唖然とする。上から下まで全部否定の記事だったりすると、あっけにとられて声がでない。負のパワーって本当にすごい。

演劇研究部で活動していた時にも思っていたけれど、喜怒哀楽のうちやりやすいのは怒ると哀しむだったりする。喜びと楽しみはやりにくかった。一緒にやっていた人はどう思っていたか分からないけれど、私から見て、喜と楽をやっていた人は皆同じ感じにまとまってしまっていたけれど、怒と哀は人それぞれ全然雰囲気が違くて、しかもパワフルだった。負のパワーはすごい。

 

すごいからこそ、諸刃の剣だと思う。

ただ、負のパワーは相手をとことん傷つけることはできても、周りの人のためには少しもならないし、他の人を傷つけることにもなるし、失敗すれば自分も傷つくものだと思う。自己中心的な感情になりかねないし、周りの巻き込み方も心地いいものじゃない。

私自身は、人付き合いが本当に苦手だから、そんなことすると友達減るよ、という言葉はあんまり響かないのだけれど、友達じゃなくてまっとうに付き合える人間がいなくなる可能性が負のパワーには秘められている。一度負をまとってしまったら、元に戻るのは難しいのかもしれない。

どういう人生を歩んできたのかは知らないけれど、この間区役所で苗字変更の手続きしに行ったら、朝っぱらから、それこそ朝八時半の一番早い時間から、一人のおじさまが罵声を浴びせていた。職員は朝から頭を下げていた。

あの怒りが、罵声が原子力発電ばりにエネルギーとなるのなら、大活用したいものだが、職員も朝から頭をさげなければならないし、しょんぼりしなきゃいけないし、周りの関係ないお客様は本当に全く関係のない罵声を延々待ち時間に聞く羽目になるし、日本語になれていない来たばかりであろう外国人の人が少し怯えた顔で端っこに座っていたのは他人なのに申し訳なかった。

その元気は他のところで向けてほしいな、と思う。

あの人は自分は悪くない!と思って罵声を浴びせれば浴びせるほど周りの人間が遠のいていくことに気が付かないのだろう。多分それでもいいと思っているだろうから、別に気にしていないにしても、その行為をしなかった場合の未来がなくなっていることにも気づけないのだろう。哀れに思われていることに気が付けないという自傷行為で、彼自身も傷ついていることに気づけない。これって結構悲しい。

 

「嫌われるのが政治」と彼女は言った。

今朝の新聞で、東京都知事となった小池百合子さんの記事があった。そこには歯に衣着せぬ豪快な発言で、時々視聴者をハラハラさせる池上彰氏の「しかし、どうしてこうも嫌われるのでしょうか」という発言に対し、一瞬ムッとした表情を見せながら「自民党全部を敵に回したわけではございません」「嫌われることをやるのが政治には必要」と答えたという。

一瞬ムッとした表情を見せながら、

とわざわざ書いた日経新聞に対して、悪意を感じた私ではありましたが、悪意を生じさせてもなお信念を貫くこの女の人は強いなと感じました。わざわざ自分の心理描写を書かれつつも、「嫌われることをやるのが政治には必要」だと言ってのけた姿勢は、易々と批判できたものじゃない。

できれば、諸刃の剣である負のパワーをまとって活躍してほしくはないものですが、「嫌われることをやるのが政治には必要」と言ってのけたこの人は、嫌われることに怯えてばかりで何もできない人達の味方にはなりうると思いました。

 

好きの反対は嫌いではなくて無関心というなら。

彼女やプロブロガー、その他もろもろ様々な人がたたかれ、どなられ、けちょんけちょんにけなされているうちは、まだまだ関心があるという証拠だし、嫌いな人の反対側には好きな人がいるから全然大丈夫だと思う。

嫌われないように、嫌っている人との関係を解消しようとする暇があるのなら、好いてくれる人の相手をしたいよね。それよか無関心の方がよっぽど怖い。

負のパワーは大いに人を傷つけるけど、その分他社から指摘される自分の悪い部分ほど勉強になるものはないとも思う。ただただその人が嫌いっていうのは論外だけど。でも時々適格な負のパワーをぶつけられたら、感謝すべきなんだと思う。

それよか恐怖を抱かなければならないのは無関心で、それはこの間の選挙とかでも言えることだけど、「どっちでもいい」「誰でもいい」「なんでもいい」という人達が増え行くほうがよっぽど怖いことだと思う。

 

わざわざ自分から嫌われる必要はないと思うけど、

「嫌われるのが怖い」から感情を隠すくらいなら、

誰かは私を好いてくれる、

それこそ「全員を敵に回したわけではございません」の精神で生きていきたいよね。

 

私自身、自己否定に走りがちだけれども、同じような境遇の人から同意、共感が得られると嬉しいから発信し続けることにしている。

100%嫌われている人がいたら、びっくりだよ。

誰かは絶対私を嫌うだろうな~程度で今日も生きていきます。

では。

 

◆本日の一冊◆

 

 「嫌い」とはジャンルが違いますが、このくらい気が抜けた方が私には合っていました。思いつきでもいいじゃん、自分がよければいいじゃん、って感情は時に人を傷つけますが、時に自分を守ってくれる感情だと思ってます。

ひたすらゆるいから、荒んだ心も休まるから選定したのも事実。

荒んだ心に休息を。

 

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