双極性障害Ⅱ型と診断された私が、毎日を過ごしやすい理由。

こんにちは、齋藤吐夢です。

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出典:無料イラスト かわいいフリー素材集 いらすとや 

 

少し前までの私は自分の心のアップダウンに苦しんでいました。

今でこそ双極性障害を受け入れ、旦那や両親、友人からの理解も得られているからこそ徐々に過ごしやすい毎日になってきていますが、ほんの少し前までは「なんで私はこうなんだろう・・・」と自分を責める毎日でした。

 

過ごしやすい毎日を送っているとはいえ、心の波がおさまっているワケではありません

 

でも、自分の症状を理解し受け入れたからこそ毎日が苦だとも思いません

 

もし同じように苦しんだり悩んでいる人がこれを読んで少しでもラクになれたらな、と思います。

 

 

 

毎日を過ごしやすい理由

結論、私が今この毎日を過ごしやすいのは、自分の持っている症状を素直に受け入れることに決めただけです

 

双極性障害と診断され、感情に波があるということも、それに加えてかつて私が経験した血液のがんという過去も、演劇が好きで、本当は今でも演劇をやりたいという気持ちも、

 

全部受け入れただけ

 

毎日を過ごしやすくなるまで

少し長くなりますが、私がこの”受け入れる”という結論に至るまでのお話をします。同じように悩んでいる人の気持ちが少しでもラクになるように、しっかり過去の話をします。

 

診断される前までの毎日

幼い頃を振り返ると、感情の波が激しい気があったように思えます。とはいえ、対人関係に問題があったワケではありません。大切な友達はいます。

 

問題は、自分に対する感情をうまくコントロールできなかったことです。

 

というのも、日によって、週によって、自分の感情がコロコロ変わり、自分自身がそれに振り回されていたからです。

 

ある週には、勉強が全てだと言わんばかりにやる気があふれ出たのですが、ある週には一気にやる気が失せ、布団から起き上がる気がせず、結局遅刻し、挙句の果てには学校には何とかたどり着いたものの、校内で一日休むという日もありました。

 

つらかった大学・大学院時代

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大学時代は演劇研究部に所属していました。自尊心の低い私にとって、演劇は「他の誰かになれる手段」でした。決して演技力があるわけではなかったですが、楽しい日々を過ごしていました。

 

ですがその当時、私は演劇に没頭するあまり、部活動の幹事を務めていたにも関わらず、部活動としての在り方より、演劇にどれだけ集中するかに注力を注いでしまったため、演劇研究部の部員たちの思想を真っ二つに分断するようなことを引き起こしてしまいました。

 

挙句、最悪のタイミングで血液のがんが発覚し、幹事としての立場も予定していた公演の演出としての立場も泣く泣くおりることになりました。

 

周りが見えなくなっていたこと、最悪のタイミングで悪いことが次々に起こったことにより、感情の波は激しさを増しました。気づけば他人を攻撃するようになっていきました。

 

その後、大学四年生で演劇研究部は引退。研究室に所属し、大学院に進むことになりました。

 

病気になった過去と、研究で消耗する 

元々は演劇の道に進もうとしていましたが、「次に病気になったら守ってあげられない」という両親の説得により、残り2年間”学生”でいることを決心しました。

 

しかし大学院では担当教授とのウマが合わず、実験も失敗ばかり。本当だったら実験が失敗することなんて当たり前です。

でもその時私は、演劇研究部やがんになったことが心にひっかかり続けていたため、次第に「なんで私ばっかり・・・」「なんでこんなにも人生うまくいかないんだろう」と自分を追い詰めていました。

 

でも「何だか調子がいい!」と思える日には朝六時くらいから夜十時くらいまで残って研究することができます。

 

朝、起き上がれなくなった

ただ、ある日突然、布団から起き上がれなくなりました。調子が悪い日に、研究室を1日欠席することはありましたが、この日をきっかけに3週間、食事・排泄以外で布団から出ることはありませんでした。

 

3週間近くたって、少し冷静さを取り戻した時に初めて「これはやばい」と思い、病院を探し、心療内科に駆け込みました。

 

双極性障害Ⅱ型と診断される

駆け込んだ心療内科で受けたカウンセリングで、この名前を聞いた時、私はほっとしました。

 

今まで生きてきた20数年間の、もやもやとしたものが全て解消できた、納得できたような気がしたからです。

 

Ⅱ型は躁状態鬱状態が交互に繰り返されると言います。

 

先に書いてきたお話で赤字のところ、調子がいい日というのは躁状態でした。その日から私は薬を飲み始め、少しずつ波を抑えることができました。

 

薬ではなく環境を変える必要を知る

できる限り普通であろう薬を処方された時、そう思っていました。薬のおかげで、大学院の残りの生活は充実して過ごすことができました。

 

感情の波もコントロールでき、教授からの理解も得ました。教授とは卒業式の日に本音を聞くことができ和解することができました(がんのことが不安だったのだそうです)。

 

普通であろうという考えから就職活動も”普通に”行い、内定をもらいました。

 

しかし私の入った会社は、結果として私には合いませんでした

業界内での評判は高い方です。しかし先輩社員達があらゆることを我慢しながら働いている姿を見て「果たしてこの環境が私の精神衛生に良いのだろうか」と疑問を抱くようになりました。

 

1~9年目の若い社員が次々に辞めていき、私はそんな会社の状況や対人関係に不安を抱くようになり、その不安感を回避すべく薬はどんどんと増えていきました。

 

しかし心より先に身体に支障が現れ、腹痛・下痢・動悸がひどくなり会社を早退させてもらった時、「これは薬で何とかなる問題ではない」と思い、休職に至りました。

 

実はこの時、がんの再発疑惑が浮上していたのも休職に至った理由です。

普通であろうと薬を飲んでまで頑張って働いていたのに、もしがんが再発していたのだとしたら、何のための5年間だったんだろう・・・と思ったからです。

 

毎日を過ごしやすくするには

「環境や考え方を変えなければ、だめになる」と思っています。

 

結果、私は新卒で入った会社を1年で辞めることになりました

 

会社にいる人たちから見れば、私の行動は”逃げ”だと思います。私自身も”逃げ”たという自覚はあります。

 

けれども、苦しいことを我慢して、ただただ過ぎる毎日を送るより、私は私の症状があっても過ごしやすい、健やかな毎日のために逃げることを選びました。

 

自分をただ受け入れることにしました

 

理解者がそばにいれば

私が毎日過ごしやすいのは、私一人の力ではありません

 

私の友人は非常におおらかな人ばかりです。

双極性障害Ⅱ型だということを伝えた時、皆「知ってた」「大丈夫、学生の頃からそんなだったし、少しも気にしていない」でした。

 

気にしていたのは自分だけでした

 

両親にも伝えています。両親も同じような反応でした。

 

本当に今まで、私だけが私を受け入れていなかった、それが分かった瞬間でした。

 

理解者がいない、受け入れるのが不安という方へ

「私にはそんな人がいない」と思う方もいることでしょう。

 

でも、もしこの話に共感してくれたり、この話で少しでも不安が解消されたのなら、私達はもうお互いにとっての理解者だと、私は思います

 

これは双極性障害Ⅱ型であるかどうか関係なく、生きづらさを感じる人にとって互いに思えることがあればそれが理解し合えたことだと思っています

 

私の社会的地位や役割、信用は、社会から見ればたいそう低いでしょう。でも私自身が今、過ごしやすい毎日を過ごせているから、それでいいです。

 

もし私の文章が役に立てたのなら嬉しいです。

では。

 

 ◆本日の一冊◆

症状がつらかった時に読んで、ラクになったお話です。